松浦武四郎関係資料とは? わかりやすく解説

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松浦武四郎関係資料

主名称: 松浦武四郎関係資料
指定番号 153
枝番 0
指定年月日 2008.07.10(平成20.07.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 1503点
時代区分 江戸明治
年代
検索年代
解説文: 江戸時代後期蝦夷地を六回にわたって探査し、その成果紀行文地図として出版した松浦武四郎(一八一八八八)の足跡を示す資料群である。
 武四郎は、伊勢国一志郡須川村(旧三重県一志郡三雲町、現松阪市小野江町)に生まれ幼名を竹四郎、のち武四郎称した。諱は弘、字は子重、号に津、多気、憂北生、北海道人、馬角斎などを用いている。天保四年(一八三三)から全国遊歴し弘化二年(一八四五)初め蝦夷地渡り、翌三年嘉永二年(一八四九)と続いて東西蝦夷地北蝦夷地(サハリン)・千島探査おこなった安政二年(一八五五)に幕府から蝦夷地御用御雇を命じられ安政三年から五年にかけて毎年内陸部におよぶ詳細な探査実施した維新後明治二年(一八六九)開拓御用掛として、北海道の道名、国名郡名撰定尽力した翌年官を辞し以後市井過ごし明治二十一年、七一歳で東京に歿した。
 本資料は、武四郎探検家地理学者著述家画家収集家としての姿や、幕臣各藩藩士儒家国学者文人などとの幅広い交流物語るもので、著述稿本類、地図絵図類書籍類文書・記録類、書画器物類に大別される
 著述稿本類には、安政探査の際に書き留めた野帳」、探査詳細をまとめた「初航蝦夷日誌」、「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」などの日誌類、さらにこれらの内容略述した刊行本草稿などがある。アイヌ人びとについて記した近世蝦夷人物志」、安政元年伊豆下田ペリープチャーチン等を取材した「豆遊日誌」も貴重である。
 地図絵図類は、蝦夷地探査集大成として安政六年に刊行した東西蝦夷山川地理取調図』二帖・二六鋪、北蝦夷地調査の成果をまとめた「北蝦夷山川図」などがある。武四郎地図特色は、それまで伊能忠敬等の地図よりも内陸部充実させ、「ケバ」を用いた山の表現や川の流域詳細に描いた点があげられる。特に『東西蝦夷山川地理取調図』には約一万におよぶアイヌ語の地名記載されており高く評価される
 書籍類には、武四郎自らが出版を手がけた刊本類と武四郎筆写ないしは収集した手沢本類がある。前者には蝦夷地各地域紀行文風にまとめた『石狩日誌』『知床日誌』などをはじめ、風俗・文化紹介した蝦夷漫画』、考古図録ともいえる『撥余興』などがある。後者には海防先覚者林子平に関する林子平家系」、伊能忠敬等の「日本経緯度実測地勢提要」などの写本含まれている。
 文書・記録類は、書翰大半占める。武四郎実家宛てた書翰および武四郎宛の諸方面からの書翰である。師であった津藩儒学者平松楽斎伊勢の国学者足代弘訓尊王攘夷派昌建、吉田松陰頼三樹三郎藤田東湖など幕末の志士大久保利通木戸孝允維新英傑江戸書家石井潭香大田垣蓮月富岡鉄斎といった歌人画家など広範な交流を示す。北海道の道名案上申写しである「蝦夷地道名之儀取調書付」は注目される
 書画器物類には、アイヌ舞踏闊達描いた蝦夷鶴の舞図」、大台ヶ原俯瞰した「大台山頂眺望図」など武四郎画家としての資質を示す作品、武四郎の姿と収集した古器物河鍋暁斎に描かせた「武四郎涅槃図」、アイヌの盆、小刀刺繍文衣などが含まれる
 これらの資料松浦武四郎実家にあたる三雲松浦家子孫にあたる東京松浦家伝来し平成十七年までに三雲町および松阪市寄贈され松浦武四郎記念館において一括保管公開されるようになった
四郎蝦夷地探査通じて当時松前藩アイヌ対す過酷な支配批判しアイヌの人々文化擁護して幕末広く世に紹介した。本資料松浦武四郎生涯事績伝えるもので、特に幕末から明治初年北海道歴史地誌アイヌ研究等において貴重である。
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