本書への反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 06:53 UTC 版)
「ラテンアメリカの日本人」の記事における「本書への反応」の解説
Lesserは、本書が「日本人と日系人がラテンアメリカ全土で経験した出来事の多様性に気付かせてくれるという点で意義深い」とする一方で、二点ほど「小さな問題」があるという。すなわち、「故郷 "homeland"」という言葉の使い方が、移民研究や民族学の専門家にとっては「不正確」なものになっている可能性があるという点と、ラテンアメリカ諸国の各国史の専門家が「重箱の隅をつつくような細かい議論をする」可能性があるという点である。しかしながらこれらの問題は「なんら本書の価値を損なうものではない」という。 Takenakaは、本書が「鋭い焦点を欠き」、さらに広範囲にわたって実地調査から得られたデータを用いるべきであったと述べ、「本書を通して散発的に主張されるイシューのいくつかにしぼって論じていれば、本書は(その主張が)さらに強まっていたであろう」と評した。しかしながら、彼女は、「複数の国への移民を体系的に分析するという困難な課題」に鑑みれば、著者が「使用されている言語が多岐にわたる膨大な量の資料をうまくまとめている」とした。そして、「複数の国への移民というトピックについて普遍的な説明を与えることに成功している」と評した。Takenaka はまた、「特に、本書は地理的にも歴史的にも広い範囲をカバーしており、幅広い資料を用いているため、駆け出しの研究者にとっては有益なものとなっている」と書いた。Tsuda は、本書が「地理的歴史的スコープ(の広さ)には感動を覚えるが、洞察のある比較分析と解釈にはいささか欠くものがある」と書いた。 Moore は、「 Masterson の叙述は時間的に前後し、また、地球規模で舞台が行きつ戻りつするため、ところどころで通読が途切れがちになる」ことを指摘する。そして「 Masterson は本書の中で新規な結論を明確に提示するには至っていない」けれども、本書が「専門特化型の研究者にとっても領域横断型の研究者にとっても、示唆に富む」ものであると評した。そして、本書の「広範囲にわたる記述」については、この記述があるがゆえに、「国をまたいだ分析がアジア系アメリカ人研究においてなされ、それらの研究がきたる学問に更なる深みと陰影を付加することへの動機づけとなる」と述べた。 デンバー大学の Michelle J. Moran-Taylor は、「細かい欠点」はあるけれども、「全体として、ラテンアメリカにおける大小の日本人コミュニティ、また、異なる時代における日本人コミュニティ間の、類似点と相違点に関する著者の研究分析により、この特別な移民体験に対する総合的な理解が提供される」と述べた。ハリファクスの聖マリア大学の Rosana Barbosa は、「本書は、ラテンアメリカ移民研究に適切に寄与している、また、いくつかのラテンアメリカ諸国への日本人の文化的、経済的、政治的貢献に関する研究にも適切な寄与をしている」と述べた。ヴィクトリア大学の Carl Mosk は、「疑いなく今後、日本人移民研究を志す者はみな、本書を読みたくなるだろう。本書は色とりどりの(時代状況の)スケッチの上に、国家間の外交や戦争が日本の戦前移民たちの夢や希望をどのように作り替えていったのかという問いに対する答えを注意深く織り込んだものである」と評した。太平洋地域の歴史の専門誌である Pacific Historical Review において、 Evelyn Hu-DeHart は、本書で「歴史の証言としてきちんとしたものが読める」と述べ、本書が「全体への目配りがよくきいていて、非常に読みやすい物語史( narrative history )である」と書いた。ただし彼女は、細かいことを言えば、出版済みの一次資料と二次資料をアルファベット順に並べ、出版されていない一次資料には詳細な解説をアーカイヴ記録と共に記載した「良質な文献案内がない」ことが、「もっとも苛立たしい」と言う。さらに彼女は、文中に多数の外国語(日本語、スペイン語、ポルトガル語など)の単語が現れるので、用語集があれば、「もっとわかりやすくなっただろう」と指摘した。 Hu-Dehart はまた、索引に本作が焦点を当てなかった国が載っておらず、そのため本作は完全なものではないと論じる。
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