本書以前の書籍化
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「妻に捧げた1778話」の記事における「本書以前の書籍化」の解説
当初は妻1人のためだけに書いていたものの、妻に「読んでくれる人もいるのでは」と言われたこと、また実際に「読みたい」と言う者もいたことで、眉村は次第に、書籍化の気持ちを強くした。折しも出版芸術社の社長である原田裕が、この眉村の私的な営みを知り、単行本化を申し出た。1998年(平成10年)5月、ショートショート200話から計49話を収録した『日がわり一話』が刊行、同1998年10月には、それに続く200話からの抜粋を中心として計47話を収録した『日がわり一話 第2集』が刊行された。挿絵も眉村自らが手がけた。出版芸術社の原田は眉村に、この作品の製作の経緯を宣伝することを推奨していたが、眉村はそれに積極的ではなかった。読売新聞から取材の申し込みがあったが、眉村はこれも「個人的な事情のからんだ事柄」との理由で、辞退した。 新聞では、このショートショートの製作を「比叡山の千日回峰行」と例えるなど、メディアである程度は取り上げられたものの、『日がわり一話』の反響は、当時は決して芳しいものではなかった。その理由を眉村は後年「それまで自分の書いていた内容とかなり異なる」「短編不振の時代」「制約のせいで、SFショートショートとしてパンチがきいていない」と回想した。 2000年(平成12年)頃、妻の病状が次第に悪化したことで、眉村は「今の内にこの作品をもう一度、形にしたい」と考えた。『日がわり一話』を面白いという中高年の読者がいたことから、「中高年の読者向けに全話を書籍化したい」との思いもあった。伝手のある編集者に、再度の出版を打診したが、返答は「商業的に困難」とのことであった。『日がわり一話』の売れ行きも良くない上に、作品が毎日増えているために、全話を引き受ける出版社は望み薄と思われた。そこで眉村は、自費出版を決心した。本来は妻のためだけに書いた作品であり、自力での出費では相当な額となるが、夫妻で稼いだ金も同然なので使い果たしても当然との考えであった。妻も「自分の生命保険もある」として同意した。こうして2000年(平成12年)、眉村の高校時代の先輩のいる真正印刷社より、私家版『日課・一日3枚以上』として、刊行が開始された。この題名は、別会社の『日がわり一話』と同じ題名を用いることができず、眉村が書いていた原稿に「日課・一日3枚以上」とラベルが書かれていたので、それをそのまま題名としたものである。1冊につき百話が収録されて、計10冊まで刊行された。
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