暴動論とは? わかりやすく解説

暴動論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:39 UTC 版)

船本洲治」の記事における「暴動論」の解説

山谷釜ヶ崎では1960年以降暴動頻発した船本はそれを分析してこのように述べた釜ヶ崎山谷暴動共通して言えることは、仲間警官差別的非人間的に扱われたことに対す労働者怒り爆発として始まった点である。仲間やられたことに対する、労働者個々人日常的な屈辱感怨念怒り背景とした大衆的反撃下層労働者階級的憎悪集団的自己表現としての武装、これが暴動内実である。暴動とは、日常的にやられ続けて泣寝入りさせられてきた「弱者」の「強者」たる敵=権力対す心底からの怨みたたきつける闘いであり、そうであるが故に、その戦闘行為優れてゲリラ的、非妥協的、非和解的な階級闘争である。 —船本洲治黙って野たれ死ぬな2018年、p.215 だがしかし船本はその弱点として、暴動自然発生性の故に現在は労働者叛乱から労働者権力構築する方向性示していない。であるので『いかなる部分叛乱も、拡大深化普遍化への質を獲得しないかぎり、つまり組織的実践として実体化されないかぎり、限界突破しえず後退する以外にない。ー船本洲治黙って野たれ死ぬな2018年、p.126』と述べている。 船本1970年代前半までの暴動分析して3期分け、現在(1970年代前半)は第3期圧力闘争延長線上にあるが、これをやがては組織化して叛乱権力とし、都市人民戦争へと拡大していかなければならないとする。 第一期自然発生した寄せ場暴動いわゆる文化人紹介した時期である。この世中にはこんなに不幸な人がいるのだ、と市民社会宣伝した資本家秩序によって与えられた幸福を市民社会自覚させるために。 第二期は、右翼組合主義者が暴動陳情利用した改良アメ玉をくれないから暴動起きるのですよ、と。 第三期左翼組合主義者が暴動圧力闘争すりかえた。改良アメ玉をよこさない暴動起こすぞ、と。 山岡強一六八年六.一七,七.一九暴動によって、運動の力の発揮しようによっては暴動起こせる、ということ知った以上、問題暴動として噴出する内発根拠を握み、そこに運動の根を下ろすことが求められる。しかし、実際はそうは展開せず、暴動圧力闘争すり替えた行改良要求闘争旧来より戦闘的になったにすぎなかった。内発根拠とは資本対決する現場闘争の場として組織することで、労働現場であり、その現場への動員のされ方である。ところが、山谷労働者日々雇用され、その都度解雇される雇用形態、更に就労職安または手配師による路上求人一定せず多岐にわたるため、工場労働者のようにはいかない。そこで、労働行政福祉行政政策持ち出すのが手っ取り早いということになる。政策との対決邪道ということではなく資本が自らの矛盾として生み出した過剰労働力を、資本生産活動安全弁として利用するということにこそ、運命出発点があるのだから、資本との直接対決がまず第一の課題とならなければならない第三期運動そのこと自覚するうになる。そしてそれを最も自覚的に追求したのが釜共闘であり、現闘委であった船本は、この第三期から更に一歩前進するために、三期区分総括出した。 —山岡強一山谷釜ヶ崎闘い歴史船本洲治れんが書房新社発行黙って野たれ死ぬな』、1985年、p.272 と述べている。 船本そして現在山谷釜ヶ崎情況は、この第三期運動の延長であり、これは次の新し運動準備している。それは、結果的に暴動準備しておきながら暴動起るたびに動揺し分解する組合運動とは異質な叛乱追求し叛乱貫徹し叛乱権力にまで高めようとする、非日常日常化ようとする潮流である、まさしく意識分子大衆運動大衆暴動合体しさらに大衆暴動都市人民戦争として拡大深化する建党・建軍運動である。それは〈あるべきところ〉の軍事からではなく〈現にあるところ〉の具体実践試行錯誤教訓から生まれであろう。 —船本洲治黙って野たれ死ぬな2018年、p.127 としている。つまり暴動ブルジョアジーとの取引道具ではなく、自ら権力を握るためのものとしなければならないとする。 山岡強一船本の暴動論を総括し解説している まず第一に自然発生性と意識性との鋭い緊張において把握されている点である。自然発生性を闘い原動力として組織しようとするものでないなら、外部からの意識性は大衆内発性にとって阻害物であるばかりか他力本願に陥し入れ、自らの勝利への確信を奪うことになる。そして、何よりも階級とは自らの根拠対象化のもとに、他の利害との緊張中に獲得される全体であり、ここに彼の最も秀れた点がある。第二に、(中略)暴動一過性の騒ぎとして無視することも一揆主義として非難する立場受け入れずやむにやまれず差別抑圧のなかから立ち上がる者が最後まで闘い切る指導部未だ持たない時、それは暴動といわれるであって、そこには極限生きる者の意志があり、たとえ蹴散らされることがわかっていても決起自体希望託す不屈の魂切なさ見ていたことである。そして、彼はそこに強固な中核組織することが求められていると提起した。 —山岡強一山谷釜ヶ崎闘い歴史船本洲治れんが書房新社発行黙って野たれ死ぬな』、1985年、p.272

※この「暴動論」の解説は、「船本洲治」の解説の一部です。
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