夜高行燈
夜高行燈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:52 UTC 版)
約26基の夜高行燈は、そり状の小さな車輪が付いている摺木(ずりき)といわれる台車に煉り廻すための台棒といわれる太い丸太を井桁に組む。摺木(ずりき)の中心には心棒を刺し、その心棒には下側から「御神燈(祝田祭とは書かない)」と書かれた連楽(れんがく、田楽(でんがく)ともいわれる)といわれる長方形の立方体の行燈、その前後に吊物といわれる行燈、その上に傘に水引幕を張った傘鉾(かさぼこ)、そして最上部には山車といわれる御所車や神輿、舟形を模った行燈がのせられている。連楽、吊物、山車は、約2ヶ月掛け木枠や竹枠、針金を用い立体的に形を作り、色とりどりの彩色を施し最後に蝋引きを施した和紙を貼る。夜になり中に火が燈るとよりいっそう山車や吊物が鮮やかに立体的に浮かびあがる。 大行燈を有する若連中 金屋清流会 京坂若連中 南部野若連中 庄新会(岩黒団地/金屋新) 中之島若連中 東部松栄会 中路クラブ(中部) 西部西友会 下村 中・小行燈を有する若連中 畑直二十日会、清水町清友会、示野、サンパチ会、舟誠会、種田地区児童・母親クラブ、雄神小若連中
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夜高行燈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 01:38 UTC 版)
夜高行燈には、台の下部に車輪とソリ状の摺木(ずりき)といわれる部分を合わせてできた台車が設置されている。その台の上に練り廻すための台棒(だいぼう)といわれる太い2本の丸太を組み、さらに台棒に対して横に組む横棒といわれる丸太を井桁に組む。摺木の中心と台の中心には、心棒(しんぼう、「心木(しんぎ)」ともいう)を刺す。その心棒には下側から、「御神燈(祝田祭とは書かない)」と書かれた連楽(れんがく)といわれる四角い箱型の行燈、その前後に吊物(釣り物、つりもん)といわれる吊り行燈、その上に傘に水引幕(「おしめ」、「ふんどし」という)を張った傘鉾(かさぼこ)、そして最上部には山車(だし)といわれる御所車や神輿、舟形をモチーフにした行燈が取付られている。山車の下には、座布団(ざぶとん)といわれる山車の下部に設置する行燈が取り付けられる場合もある。心棒は、それらの行燈や傘鉾の固定のために必要不可欠である。喧嘩をする町内の夜高行燈には、喧嘩時の上下左右の動きを制御するために台棒の1番棒と2番棒(左右にある台棒2本共のこと)に喧嘩ロープが取り付けられる。相手と組み合って相手の行燈の上に前棒(台棒の一番前に丸太3本を横に組んで縄を巻いてある部分のこと、「バンパー」ともいう)が入った時、このロープを下へ引いて、相手の釣り物を潰す。また、喧嘩をする町内の夜高行燈の最後尾の部分には、喧嘩時の上下の動きを制御するための喧嘩補助用の喧嘩パイプ(喧嘩用金物)が設置されている町内もある。 山車は数ヶ月から約1年、釣り物は数週間から約1ヶ月、連楽は数週間から約1ヶ月かけて、木枠、番線、竹ひご、針金や絶縁テープ(ビニールテープ)などを用いて立体的な形を作る。その形状に従って和紙を貼り、その和紙の上に蝋引きをした後に色とりどりの彩色を施して仕上げる。夜になって行燈の中に光が灯ると、よりいっそう山車や釣り物が立体的かつ、鮮やかに浮かびあがる。行燈の光源には、LED電球や白熱電球が使用される。なお、中・小・ミニ行燈の基本的な形状は同じである。 また、大行燈は両日の喧嘩で何度も他町とぶつかり合って釣り物を壊すため、予備の釣り物が複数個用意されており、喧嘩が行われる度に取り替えられる。
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夜高行燈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 01:44 UTC 版)
竹と和紙と染料を主な材料として作られた夜高行燈と呼ばれる赤を基調とした高さ約6mの大行燈と小行燈が勇壮に練り歩く。夜高行燈は町民達の手作りによるもので、完成までに3、4ヶ月も要する。このこともあり、人々の夜高祭りに懸ける想いは強い。 夜高行燈は、摺木(ずりき)といわれるソリ状の木材に、立方体の小さな2つの車輪が付いている台車を組み、その台車に練り回すための台棒(練り棒ともいわれる)に太い2本の丸太に横棒を井桁に組む。台車中心に心木を刺し、その心木には下側から「祝田祭(砺波では「御神燈」と書く町は非常に少ない)」や「新富町」「太郎丸上村」など町名・常会名が書かれた田楽(でんがく)といわれる長方形の立方体の行燈、その前後には吊物といわれる行燈、その上に傘に水引幕を張った腰巻(傘鉾〔かさぼこ〕)、そして最上部には山車といわれる御所車や神輿、舟形を模った行燈がのせられている。田楽、釣り物、山車は、数ヶ月掛け木枠や竹枠針金を用い立体的に形を作り、和紙に色とりどりの彩色を施し最後に蝋引きを施し貼る。夜になり中に火が燈ると、山車や吊物が鮮やかに立体的に浮かびあがる。なお小行燈も形状は同じである。
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夜高行燈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 16:59 UTC 版)
「沼田町夜高あんどん祭り」の記事における「夜高行燈」の解説
夜高行燈は、そり状の小さな車輪が付いている摺木(ずりき)といわれる台車に煉り廻すための台棒といわれる太い丸太を井桁に組む。摺木(ずりき)の中心には心棒を刺し、その心棒には下側から御神燈と書かれた田楽(でんがく)といわれる長方形の立方体の行燈、その前後に吊り行燈(吊り物)といわれる行燈、その上に傘に水引幕を張った傘鉾(かさぼこ)、そして最上部には山車といわれる御所車や神輿、舟形を模った行燈がのせられている。田楽、吊り行燈、山車は、4月ごろから木枠や竹枠を用い立体的に形を作り、和紙に色とりどりの彩色を施し最後に蝋引きを施し貼る。夜になり中に火が燈るとよりいっそう山車や吊り行燈が鮮やかに立体的に浮かびあがる。また龍などの動物の目が光ったり、口から煙(炭酸ガス)などを噴射する。 町南部にある沼田町夜高会館(入館無料)では夜高あんどんが多数展示されている(12月〜翌年4月まで休館)。
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夜高行燈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:51 UTC 版)
大行燈は高さ2丈1尺(約6.36m)で、小さな車輪が付いたソリ状の摺木(ずりき)といわれる台車の左右に、練り廻すための台棒といわれる約7.8mの太い丸太2本を、そこに横棒を前後4本(全8本)ずつ井桁に縄を用いて組む。摺木(ずりき)の中心には心棒を刺し、その心棒には下側から「御神燈」「七津屋氏子」などと書かれた連楽(れんがく、他地区では田楽(でんがく)ともいわれる)といわれる長方形の立方体の行燈、その前後に吊物(つりもん)といわれる行燈、その上に傘に水引幕を張った傘鉾(かさぼこ)、そして最上部には山車といわれる御所車や神輿、舟形を模った行燈がのせられている。連楽、吊物、山車は、約2ヶ月掛け木枠や竹枠、針金を用い立佞武多(たちねぷた)のように立体的に精巧な型枠を作り、そこに色とりどりの彩色をした和紙に蠟引きを施し貼ったものである。夜になり中に火が燈るとよりいっそう山車や吊物が鮮やかに立体的に浮かびあがる。なお、大行燈の山車、前後の吊物のテーマは各町決まっている。また中行燈は高さ約5m、小行燈は高さ約3.5m-4mで、形状は大行燈と同じである。 明治以前は高さが約11mもあり現在の行燈よりも背が高くスマートだったと云われ、文久の頃には高さ4丈(約12m)ほどあったとされるが、1892年(明治25年)には町内にも電線が引かれるようになったため、1892年(明治25年)頃には2丈5尺(約7.58m)に高さ制限をし、その後1910年(明治43年)には、全町に電話線が引かれたため現在の高さに規制された。 福野文化創造センター「ヘリオス」には、横町の大行燈1基が常設展示(入場無料)されているほか、富山市内にあるますの寿しの「源」の工場に併設されている「ますのすしミュージアム」内のレストハウスには、新町の大行燈1基が常設展示されている。
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