哲学・思想
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「ウィーン学団」も参照 社会運動としては、生前のアルフレッド・ノーベルと親交を持ち、雑誌『武器を捨てよ』を編集して国際的な平和活動を展開した女流作家ベルタ・フォン・ズットナー(1843年 - 1914年)がおり、彼女は1905年、ノーベル平和賞を受賞した。 ユダヤ系哲学者のオットー・ヴァイニンガー(1880年 - 1903年)の主著『性と性格』(1903年)は、かれが23歳の若さで自殺を遂げたのちに高く評価され、若きウィトゲンシュタインにも影響を与えている。男性原理と女性原理を基本用語として諸事象を解析していく手法は、こんにちでは性差別主義、あるいは反ユダヤ主義としてしばしば非難の対象となっている。その一方で、天才的ひらめきに満ちた名論文として高い評価が与えられることがあり、カール・クラウスは彼を絶賛し、森鷗外も早くから注目していた。 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889年 - 1951年)はウィーン出身の哲学者である。父はユダヤ系で鉄鋼業で財をなしたカール・ウィトゲンシュタインで、思春期に2人の兄を自殺で失っている。1912年から1914年にかけてケンブリッジ大学でバートランド・ラッセルに哲学を学んだが、25歳で相続した多額な遺産はほとんど全部を手放している。志願兵として前線にあった第一次世界大戦の間書き続けたノートをもとに1918年から翌年にかけて『論理哲学論考』(1923年出版)を完成させた。その結論から彼は、従来の哲学のほとんどすべては「誤っているのではなく、ナンセンスにすぎない」と断じている。彼は、それ以後、このテーマに関して自分のし残したことはないと哲学を離れ、教員養成学校に入学した。6年あまりの小学校教員生活のあいだに『国民学校用辞典』(1926年刊)をつくった。ウィトゲンシュタインはよく「哲学では、いつも利口でいないこと、が非常に大事だ」と語っていたという。また、かれは「わたしの言語の限界は、わたしの世界の限界を意味する」「語りえぬものについては沈黙しなければならない」と述べているように、哲学的問題は言語の働きの誤解によって生ずると主張し、哲学の仕事を言語分析に限定した。その研究はモーリッツ・シュリックらウィーン学団の哲学思想に大きな影響を与え、こんにちのイギリス、アメリカの分析哲学に多大な影響を与えたとされる。 なお、不完全性定理で著名な数学者・論理学者クルト・ゲーデル(1906年 - 1978年)や批判的合理主義や反証主義で知られる哲学者カール・ポパー(1902年 - 1994年)はオーストリア出身、物理学・数学・論理学・工学・計算機科学・気象学など多方面で活躍したジョン・フォン・ノイマン(1903年 - 1957年)はハンガリー出身である。
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哲学・思想
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ケンブリッジ学派 (思想史)(英語版) - 20世紀後半のQ・スキナー、J・G・A・ポーコック、ジョン・ダンら。論点は西洋政治思想史の方法論。 →インテレクチュアル・ヒストリー ケンブリッジ分析学派 - 20世紀初頭のケンブリッジ大学哲学科(英語版)に所属したラッセル、ムーア、前期ウィトゲンシュタインら。いわゆる分析哲学の祖。日常言語学派と対比される。 ケンブリッジ・プラトン学派 - 17世紀のウィチカットら。
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哲学・思想
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哲学や政治思想の分野では、古典的な君主制や神政政治や封建主義などの権威主義的な思想や体制に対し、啓蒙主義以降の人間の理性中心の思想や体制を指す。 また「近代」(モダン)は、ポストモダニズムの立場から、その人間中心、進歩主義、産業中心、画一化などを批判されることがある。
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哲学思想
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「トーマス・ヒル・グリーン」の記事における「哲学思想」の解説
イギリス理想主義のリーダーとして知られ、イマヌエル・カントとヘーゲルの影響を受けた。グリーンの唱えた人格主義は個々人の人格の陶冶、自己実現を説くものであるが、彼がその背後に神の存在を想定していたことは疑いえない。彼の真意は神を前提とした人格主義なのか、そうでないのか、その解釈を巡り研究者間で論争がある。グリーンは理想主義 (アイディアリズム)、人格主義をもとに、イギリス伝統の経験論、功利主義を批判した。そして、フランシス・ハーバート・ブラッドリーやバーナード・ボザンケなどの同調思想家を生み出し、イギリス理想主義の隆盛を生み出すのである。
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