和平工作とは? わかりやすく解説

和平工作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 08:24 UTC 版)

阿南惟幾」の記事における「和平工作」の解説

鈴木内閣発足前後には、政府内外和平派による活動が活発となっていた。近衛上奏文による終戦策を進めていた外交官吉田茂(元駐英大使)が阿南陸軍大臣就任直後4月15日憲兵隊拘束された。阿南親交のあった吉田拘束聞くと、自らの立場抗戦であったにも関わらず陸軍人事局以来部下信頼厚かった軍事課荒尾興功大佐呼び「すぐに釈放せよ」と命じている。しかし、憲兵隊はすぐに吉田釈放することなく、特に近衛文麿との関係について厳し尋問行ったが、吉田拘置所内の待遇については、独房差し入れ自由という恵まれたもので、阿南配慮があったものとされている。吉田黙秘貫いたため、仮釈放40日あまり後となった釈放のさいに島田法務中将から「陸軍内で起訴にするか、不起訴にするか大分問題になったが、最後に阿南閣下裁断不起訴になった」と告げられたとしている。この事件は、上層部和平動き一撃加えて陸軍不退転の決意示そうとした兵務局抗戦将校らが憲兵使って吉田逮捕させて東部軍軍法会議送ったというのが真相であるが、阿南はこの起訴画策し兵務局強硬派などの一部反対押し切って吉田微罪釈放決定している。 しかし、まだ政府内で終戦に関する議論進んでおらず、東西から激しく攻め込まれているナチス・ドイツ命運固唾を呑んで見守っている状況であったベルリンソ連赤軍突入してベルリンの戦い始まり4月22日には開設以来100年稼働し続けていたベルリン電報局沈黙したが、最後に受け取った電報日本の外務省打電したミナサン、コウウンヲイノル」という激励電報であった太平洋戦線でも沖縄激戦続いており、この時点ではまだ連合軍一撃加えることを期待していた鈴木が、4月26日には首相官邸阿南陸海軍首脳部召集し沖縄戦について「今は何があっても沖縄作戦成功させる」「沖縄の戦さに勝ってこそ外交政策有効に行われるというものです」と飛ばしている。昭和天皇梅津美治郎参謀総長対し「(沖縄戦が)不利になれば今後戦局憂ふべきものあり、現地軍は何故攻勢出ぬか」と持久作戦をとる第32軍司令官牛島満中将に、攻勢指示するように促している。 5月2日にはついにナチス・ドイツ降伏した日本政府にとってナチス・ドイツ降伏織り込み済みとは言え世界孤児となった窮状挽回する妙案があるはずもなく“泰然として腰を抜かしている”ような状況であった5月8日閣議においては、「あまりにドイツに引きずられ、振り回された」「ドイツ対す態度が甘すぎた」などの意見出されなかには三国軍事同盟締結責任問題とか、奉天で軍を止めた日露戦争のように、シンガポール南京で軍を止めれば有利な和平機会もあったなどと愚痴のような意見もあったというが、結局決まったのは「国内動揺抑制」「日独協定破棄」「反戦和平機運高めるような報道規制」など後ろ向きなもので、5月9日には「帝國と盟を一にせる独逸降伏帝國衷心より遺憾するところなり、帝國戦争目的もとよりその自存自衛とに存す、是れ帝國不動信念にして歐州戦局急変帝國戦争目的寸毫変化与えるものに非ず帝國東亜盟邦と共に東亜自己の慾意と暴力との下に蹂躙せんとする米英非望対しあくまでも之を破摧しもつて東亜安定確保せんことを期す」とする戦争遂行政府声明出している。 沖縄戦においては5月3日から開始された第32軍による総攻撃失敗して戦況悪化一途をたどり、沖縄での一撃期待をしていた昭和天皇意思次第早期和平に傾いており、内大臣木戸幸一に、「鈴木講和条件などについては弱い。木戸はどう考えるか。軍の武装解除については、何とか3,000人とか5,000人の軍隊残せるよう話ができないものだろうか」と尋ねている。沖縄勝機掴んで和平へ、と常日頃主張し続け鈴木態度苛立ちつのらせての発言思われたが、木戸もまだこの時点では早期和平考えておらず「和平とはまだ決まっておりません」と回答する昭和天皇黙ったままであった追い詰められ軍部最大懸念事項ソビエト連邦(以下ソ連)の対日参戦であり、外務大臣東郷参戦防止目的とした対ソ工作要求したこのため5月11日12日14日3日渡って最高戦争指導会議開催された。東郷はこの機会軍部抵抗が強いアメリカとの直接交渉ではなくソ連仲介とする和平交渉進めることを決意し会議では、ソ連の参戦防止のほか、戦争の終結に関して日本有利な条件となるよう、ソビエト連邦アメリカイギリスとの講和交渉仲介依頼することも協議された。しかし、軍部国際感覚乏しく海軍大臣米内光政などは「海軍としては、ソ連の参戦防止のほか、できればソ連好意的態度誘い石油などの戦略物資購入できれば希望する」と荒唐無稽なことを要望している。東郷は「ソ連軍事的経済的に利用する余地などあろうはずもない。実状知らないにも程がある事態はもう手遅れで、現在の日本状況では終戦そのものの手段を検討すべきである」と軍部現状認識甘さ指摘している。既に海軍外務省にも内密で、独自に戦略物資航空機購入ソ連要請しており、日本側から支払代金代わりとして、戦艦長門空母鳳翔重巡洋艦利根駆逐艦数隻をソ連側引き渡すこととし米内の命で軍務局第2課長末沢慶正大佐が在京ソ連大使館接触したが、ソ連側まともに取り合わず、末沢がウォッカ振る舞われただけであった阿南も、講和条件についての協議で「講和条件協議現在の戦況基づいて決定すべきである」「日本は、敵軍占領されている日本領土より遙かに広大な敵の領域占領している」と強気な発言行い東郷に「講和条件は、現在の戦況だけでなく、合理的に予見できる将来戦況考えて割り出すべきだ」とたしなめられている。それでも、ほかに手段のない日本政府は、米内提案条件については棚上げとしたままで、ますはソ連講和仲介役に引き込むことが決定された。しかし東郷は、ソ連との交渉厳しいと考えており、独自に南樺太割譲」「満州鉄道譲渡」「千島列島北部割譲」「津軽海峡開放」などの手土産となる条件準備して交渉しよう考えていた。ソ連との交渉佐藤尚武ソビエト連邦大使託されていたが、ヤルタ会談によって既に対日参戦決定していたソ連あしらわれて、佐藤6月9日に「日ソ友好強化絶望的」と報告している。この後外交努力続けられたが、ソ連引き延ばし策もあって実を結ぶことはなかった。

※この「和平工作」の解説は、「阿南惟幾」の解説の一部です。
「和平工作」を含む「阿南惟幾」の記事については、「阿南惟幾」の概要を参照ください。

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