名称と来歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 07:47 UTC 版)
和名ミズナの名の由来は、堆肥などを使用せず、流水(清流)を畦間に引き入れて栽培するため「水菜」の名がある。江戸時代の『雍州府志』(貞享3年、1686年)に「水菜」として記載されていて、すでに京都西南部の東寺・九条付近で栽培されていた。 関西地方では、発祥の地からキョウナ(京菜)ともよばれる。また、茎の分枝が多く葉も数百枚にも及ぶことからセンボンナ(千本菜)、センスジナ(千筋菜)などともよぶ。ほかにヒイラギナ(柊菜)などの別名もある。
※この「名称と来歴」の解説は、「ミズナ」の解説の一部です。
「名称と来歴」を含む「ミズナ」の記事については、「ミズナ」の概要を参照ください。
名称と来歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 03:28 UTC 版)
コマツナは、ツケナ類(野沢菜、チンゲンサイなど、アブラナ科の非結球葉菜の総称)の一種で、江戸時代初期に現在の東京都江戸川区小松川付近で、ククタチナ(茎立ち)を品種改良して栽培され始めたと言われている。 小松川地区にある香取神社には小松菜の由来が伝わる。1719年(享保4年)、江戸幕府8代将軍、徳川吉宗が鷹狩りで西小松川を訪れ、そこで食事をする際に香取神社が選ばれ、時の神主亀井和泉守永範が接待したが、これといった食材もなかった。そこで餅のすまし汁に青菜を彩りに添えたところ、吉宗はこの青菜を気に入り、神社のある地名から小松菜と命名したという。また、一説には5代将軍、徳川綱吉によって名付けられたという説も伝えられている。 コマツナは江戸時代なかばまでは「葛西菜」と呼ばれていた。『大和本草』には「葛西菘(かさいな)は長くして蘿蔔(だいこん)に似たり」とあり、『続江戸砂子』では、菜葉好きが全国の菜葉を取り寄せたが「葛西菜にまされるはなし」と高く評価した。葛西菜が品種改良によって小松菜になったのだが、『本草図譜』に描かれた葛西菜は、現在の丸い葉のコマツナとは異なる。青葉高によれば小松川の椀屋久兵衛(1651年 - 1676年)が葛西菜をコマツナに改良したというが、『江戸川区史』によれば椀屋久兵衛が評判の高かった葛西菜をわざわざ江戸から上方に取り寄せて人に振る舞ったという。椀屋久兵衛とは、数々の豪遊のあまり身を持ち崩し、浮世草子『椀久一世の物語』にもなった上方の豪商である。 葛西菜が小松菜と改称された理由の1つに、江戸市中の糞尿を持ち帰って下肥とし、野菜を江戸に運んだ葛西船(かさいぶね)の存在を挙げる向きもある。葛西船の異称として単に葛西と呼ばれていた。当時のイメージとして屎尿臭を連想させる葛西の語を嫌って、めでたい常盤の松にあやかった小松の名を採ったとする[要出典]。
※この「名称と来歴」の解説は、「コマツナ」の解説の一部です。
「名称と来歴」を含む「コマツナ」の記事については、「コマツナ」の概要を参照ください。
- 名称と来歴のページへのリンク