さだ‐しんのう【佐×陀神能】
さだしんのう 【佐陀神能】
佐陀神能
名称: | 佐陀神能 |
ふりがな: | さだしんのう |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 佐陀神能保持者会 |
指定年月日: | 1976.05.04(昭和51.05.04) |
都道府県(列記): | 島根県 |
市区町村(列記): | 八束郡鹿島町 |
代表都道府県: | 島根県 |
備考: | |
解説文: | 八束郡鹿島町の佐太神社の御蓙替祭(九月二十五日)に演じられるもので、七座神事の舞と神能(式三番および十二段といわれるが、実際はそれ以上の曲目がある)とで構成される。七座神事の舞は七種あり、剣、御蓙、榊などを採り物として舞う(「剣舞」「散供」「御蓙」「清目」「勧請」「八乙女」「手草」)。神能は天正以前、同社の社家が能楽に範をとって舞わせたものと言われ(「八重垣」「大社」「日本武」「三韓」「八幡」「切目」「岩戸」などの曲目)、猿楽能の影響をみることができるなど、芸能史的に高い価値をもつものである。 |
佐陀神能
名称: | 佐陀神能 |
ふりがな: | さだしんのう |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 佐陀神能保存会 |
選択年月日: | 1970.06.08(昭和45.06.08) |
都道府県(列記): | 島根県 |
市区町村(列記): | 八束郡鹿島町大字佐陀宮内 |
代表都道府県: | 島根県 |
備考: | 所在地が同一都道府県内のもの(このデータは種別1から移行しています) |
解説文: | 八束郡鹿島町の佐太神社の御蓙替祭(九月二十五日)に演じられるもので、七座神事の舞と神能(式三番および十二段といわれるが、実際はそれ以上の曲目がある)とで構成される。七座神事の舞は七種あり、剣、御蓙、榊などを採り物として舞う(「剣舞」「散供」「御蓙」「清目」「勧請」「八乙女」「手草」)。神能は天正以前、同社の社家が能楽に範をとって舞わせたものと言われ(「八重垣」「大社」「日本武」「三韓」「八幡」「切目」「岩戸」などの曲目)、猿楽能の影響をみることができるなど、芸能史的に高い価値をもつものである。 |
佐陀神能
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/14 20:40 UTC 版)
佐陀神能(さだしんのう)は島根県松江市の佐太神社で毎年9月24日と25日(旧暦は8月24日と25日)に行う祭礼である。
概要
1608年(慶長13年)に佐太神社の幣主祝(へいぬしはふり)宮川兵部少輔秀行が能楽の形式を京(現在の京都市)から持ち帰ったことから始まった[1][2]。
毎年9月24日に夜の御座替(ござかえ)神事・七座から始まる。25日に午後3時より例大祭を経て、夜7時から「式三番」・「神能」を行う[3]。直面(ひためん)の執物舞(とりものまい)の「七座」・祝言の「式三番」・着面の神話劇の「神能」の3部構成となっている[2]。
以前は2日目の成就神楽に対する名称だったが、近代に再興されてからは初日も含めた総称になっている[4]。
明治維新までは、秋鹿郡、島根郡、楯縫郡、意宇郡西半の三郡半の社家が佐陀大社に参集し、この神事を奉仕していた[4]。
1952年(昭和27年)に文化財保護法による選定からスタートし、1961年(昭和36年)に県の無形民俗文化財指定、1970年(昭和45年)に記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(選択無形民俗文化財)の選択を経て、1976年(昭和51年)に国の重要無形民俗文化財に指定された[5]。
また2011年(平成23年)には、11月27日にユネスコの無形文化遺産に登録された[6]。
他所の神楽との違い
託宣を行わず、天蓋を釣らない点が他所の神楽との違いである[4]。
脚注
- ^ 市政松江2012年2月号
- ^ a b しまね観光ナビ
- ^ 佐太神社ホームページ
- ^ a b c いずも財団叢書8 島根の祭りと民俗芸能
- ^ 佐太神社ホームページ
- ^ 全国知事会
- 佐陀神能のページへのリンク