九州平定とは? わかりやすく解説

九州平定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 03:31 UTC 版)

九州平定(きゅうしゅうへいてい)は、天正14年(1586年)7月から同15年(1587年)4月にかけて行われた、羽柴秀吉1586年9月9日豊臣賜姓)と島津氏など、九州諸将との戦いの総称である。秀吉の「九州征伐」、「島津征伐」、「九州の役」[注釈 1]、「九州攻め」、「島津攻め」などの名称で呼ばれることもある(詳細は#呼称と開始時期について参照)。




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九州平定

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今川貞世」の記事における「九州平定」の解説

3代将軍足利義満時代建徳元年/応安3年1370年)頃に、管領細川頼之から渋川義行後任九州探題推薦され正式に任命された。観応の擾乱後に南朝方の菊池武光征西大将軍懐良親王奉じ征西府尊氏庶子直義養子)である足利直冬等が分立し征西府筑前少弐頼尚撃破し大宰府占領し南朝勢力強くなっていた九州平定のために派遣される本国遠江準備をした後、10月京都出発建徳2年/応安4年1371年5月安芸留まり毛利元春吉川経見熊谷直明長井貞広山内通忠ら国人衆招集している。同年12月九州渡り豊前至った。 了俊は周防長門大内弘世義弘父子等の協力得て新興国人勢力連絡し阿蘇惟村協力得て豊後嫡男の貞臣を田原氏能と共に豊後高崎山城入り込ませ、弟の仲秋松浦党協力得て肥前から大宰府攻め、了俊自身の兵は豊前から大宰府攻めた文中元年/応安5年1372年6月には懐良親王菊池武光等を筑後高良山福岡県久留米市)から菊池氏本拠肥後隈部城まで追い南朝勢力から大宰府奪回し北朝方の拠点とした。 この後戦局肥後へ移り文中3年/応安7年1374年7月水島まで出兵した。天授元年/永和元年1375年)、水島での会戦備えて勢力結集をはかり、九州三人衆呼ばれる豊後大友親世筑前少弐冬資大隅島津氏久らの来援呼びかけた。三人衆のうち唯一九州探題対立していた少弐冬資着陣拒んだが、島津氏久仲介で来陣した水島の陣において了俊は宴の最中に冬資を謀殺する挙に出た。この水島の変により氏久は離反して帰国島津氏は了俊の九州経営抵抗するようになったまた、大友親世探題に対して嫌疑抱き、了俊への支援止めてしまった。 九州の有力大名離反によって一転して窮地陥った了俊は、同盟関係にあった大内氏協力要請する。これに対して大内弘世難色示したが、子の義弘は了俊を支持し九州援軍派遣している。また、大内氏婚姻関係のあった大友親世消極的ではあったが北朝方に帰順した水島の変から2年後天授3年/永和3年1377年)には菊池武朝阿蘇惟武南朝勢力肥前打で激突戦い北朝方の大勝終わり南朝方の有力武将を多数討ち取った肥前打の戦い)。一方この頃から了俊は、右手中風悩まされるようになった打の戦い以降、了俊は再び南朝方に対す攻勢強め弘和元年/永徳元年1381年)には武朝を本拠地隈部城から追放している。南九州下った氏久と甥の島津伊久に対しては5男の満範を派遣して南九州国人一揆結成させ、弘和元年10月帰順させている。元中8年/明徳2年1391年)に八代城名和顕興征西大将軍良成親王降伏させ、元中9年/明徳3年1392年)の南北朝合一機に武朝と和睦し九州南朝勢力帰順させて九州平定を果たした。 但し、氏久と伊久は天授3年にも1度降伏しているが、これは満範が国一揆率いて日向都之城北郷義久攻め直前だったためである。都之城包囲解かれた後に氏久は国人一揆調略行い、了俊の元へ陣して来なかったので、天授4年/永和4年1378年3月両者決裂。満範に都之城の再包囲命じたが、翌天授5年/康暦元年1379年3月1日3月3日志布志城から後詰に来た氏久に敗れて都之城から撤退した蓑原の合戦)。南北朝合一後も氏久の息子元久対立、了俊は応永元年1394年)に4男の尾崎貞兼南九州派遣したが、翌年九州探題解任されたため、島津氏討伐失敗終わった外交では懐良親王を指すとされている「日本国王良懐」を冊封するために派遣された明使を抑留し、日明交渉将軍足利義満の手委ねたまた、高麗使者鄭夢周とも接触して独自の交渉行い元中9年李氏朝鮮成立して交渉継続した。これにより、大内氏にも呼びかけ倭寇前期倭寇)を鎮圧し倭寇拉致され高麗人送還などを行い、『大蔵経』を求めるなどの善隣政策推進した

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