かねなが‐しんのう〔‐シンワウ〕【懐良親王】
懐良親王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 01:09 UTC 版)
懐良親王(かねよししんのう[注釈 1]、1329年?〈元徳元年〉- 1381年頃〈天授7年/弘和元年〉)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族。後醍醐天皇の皇子。官位は一品・式部卿。征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)と呼ばれる。外交上は明の日本国王として良懐(りょうかい)を名乗った。
注釈
- ^ 鎌倉時代・南北朝時代の研究が進む以前は「かねながしんのう」と呼ばれることも多かった。詳しくは、後醍醐天皇の皇子の名の読みを参照。
- ^ 時期については諸説あり。
出典
- ^ 栗林 1979, pp.2–3.
- ^ 栗林 1979, pp.5.
- ^ 佐久間 1965, pp.20–22.
- ^ 栗林 1979, pp.11.
- ^ “懐良親王御墓(八代市HP)”. 2015年1月12日閲覧。
- ^ 『明太祖実録』巻138, 洪武十四年七月戊戌条
- ^ 『明史』巻322, 日本伝
- ^ 『殊域周咨錄』第2巻東夷, 日本國
- ^ a b c d e 森 2019, pp. 293–294.
- ^ a b 森 2019, pp. 119–122.
- ^ a b 森 2019, pp. 306–309.
- ^ a b c d e 森 2019, pp. 270–272.
- ^ a b 森 2019, pp. 295–298.
- ^ a b 「後醍院系図」『諸家系図纂』所収
固有名詞の分類
- 懐良親王のページへのリンク