小早川隆景とは? わかりやすく解説

こばやかわ‐たかかげ〔こばやかは‐〕【小早川隆景】

読み方:こばやかわたかかげ

[1533〜1597]安土桃山時代武将毛利元就(もうりもとなり)の三男幼名徳寿丸、のち又四郎安芸小早川家を継ぐ。織田信長中国攻略羽柴秀吉戦った和解秀吉の信を得て五大老一人となり、四国九州平定小田原攻め文禄の役参戦


小早川隆景

作者大栗丹後

収載図書戦国武将まんだら秘本三十六人
出版社春陽堂書店
刊行年月1999.8
シリーズ名春陽文庫


小早川隆景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 04:20 UTC 版)

小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名。竹原小早川家第14代当主。後に沼田小早川家も継ぐ。


注釈

  1. ^ この後、児島の防衛は浦上勢の美作転身により三村軍が独力で成功させた。
  2. ^ 口宣案上卿大納言勧修寺晴豊、奉者は蔵人頭左近衛権中将中山慶親
  3. ^ 口宣案の上卿は大納言・中山親綱、奉者は蔵人頭右大弁万里小路充房
  4. ^ 口宣案の上卿は大納言・中山親綱、奉者は蔵人右中弁勧修寺光豊
  5. ^ 口宣案の上卿は大納言・勧修寺晴豊、奉者は蔵人頭右大弁中御門資胤

出典

  1. ^ 故小早川隆景外二名贈位ノ件”. 西園寺公望 (1908年4月1日). 2014年8月5日閲覧。
  2. ^ 渡辺 & 川上, p. 8.
  3. ^ a b 三原市史 第一巻 1977, p. 411.
  4. ^ a b c 愛媛県史 近世 上 1986, p. 4.
  5. ^ 渡辺 & 川上, p. 9.
  6. ^ 渡辺 & 川上, p. 11.
  7. ^ 新人物往来社編, 寺尾克成「小早川隆景の出自と系図」.
  8. ^ 三原市史 第一巻 1977, pp. 411–412.
  9. ^ a b 小早川隆景初陣の場所、「坪生要害」清水山 - 大陽新聞連載「新びんご今昔物語」(備陽史探訪の会 田口義之)
  10. ^ 三原市史 第一巻 1977, p. 415.
  11. ^ 三原市史 第一巻 1977, p. 424.
  12. ^ 三原市史 第一巻 1977, pp. 424–425.
  13. ^ a b 西尾 2005, 「厳島合戦前夜における芸予の婚姻と小早川隆景」「戦国末期における河野氏権力と来島通康」
  14. ^ 愛媛県史 近世 上 1986, p. 6.
  15. ^ 宮本義己「三道併進策による毛利家の「上洛作戦」」『歴史読本』39巻9号、1994年。 
  16. ^ 藤田達生『秀吉と海賊大名 海から見た戦国終焉』〈中公新書〉2012年。 
  17. ^ 渡辺 & 川上, p. 135.
  18. ^ 米原正義「毛利輝元 黒幕説を検証する」(『別冊歴史読本』19巻25号、1994年)
  19. ^ 愛媛県史 近世 上 1986, p. 7.
  20. ^ 愛媛県史 近世 上 1986, p. 8.
  21. ^ 藤田達生「補論2 伊予国における近世の開幕」『日本中・近世移行期の地域構造』校倉書房、2000年。 
  22. ^ a b c 渡辺 & 川上, p. 170.
  23. ^ 渡辺 & 川上, p. 172.
  24. ^ 新人物往来社編, 舘鼻誠「小早川隆景の領国経営」.
  25. ^ 西尾和美「河野通直の死と豊臣政権」『松山東雲女子大学人文学部紀要』第10巻、2002年。 /改訂所収:西尾 2005P260-296.
  26. ^ 村川浩平「羽柴氏下賜と豊臣姓下賜」『駒沢史学』49号、1996年。 
  27. ^ 直方市史 上巻 1971, p. 308.
  28. ^ 渡辺 & 川上, p. 234.
  29. ^ a b 渡辺 & 川上, p. 231.
  30. ^ 三原市史 第一巻 1977, p. 511,513,515.
  31. ^ a b 三原市史 第一巻 1977, p. 511.
  32. ^ 三原市史 第一巻 1977, p. 512.
  33. ^ 三原市史 第一巻 1977, pp. 512–513.
  34. ^ 三原市史 第一巻 1977, p. 513.
  35. ^ a b 渡辺 & 川上, p. 236.
  36. ^ 本多 1997, p. 3.
  37. ^ a b 三原市史 第一巻 1977, p. 522.
  38. ^ a b 渡辺 & 川上, p. 213.
  39. ^ 『筑後国史』筑後将士軍談 卷之第四十二 系譜小伝 小早川系譜 P.430
  40. ^ 三原市史 第一巻 1977, p. 527.
  41. ^ 渡辺 & 川上, pp. 225–226.
  42. ^ 渡辺 & 川上, p. 256.
  43. ^ 『小早川家文書』第219号、永禄3年比定2月20日付「足利義輝御内書」。
  44. ^ 『小早川家文書』第189号、天正16年比定7月25日付「飛鳥井雅春紫組冠懸免許状写」。


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小早川隆景

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二流の人 (小説)」の記事における「小早川隆景」の解説

毛利輝元側の智将温厚明敏果断な政治家官兵衛の直談判により、秀吉和睦する朝鮮遠征小牧・長久手の戦い)では、全軍信頼得ている長老として参加

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小早川隆景(こばやかわ たかかげ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)

センゴク」の記事における「小早川隆景(こばやかわ たかかげ)」の解説

通称左衛門佐、後に侍従毛利元就三男で元春の弟。武勇優れる兄・元春とは反対に知略長ける知将若い頃は元春に口が過ぎる苦言呈されているが、長じては父同様の落ち着きはらった様子を身につけた。現在は元春と共に甥に当たる毛利輝元補佐している。鳥取城攻めの際には山陽側で宇喜多軍と対峙しており、宇喜多方の有力者伊賀氏調略成功している。中国地方巡り羽柴秀吉率い西国方面軍対峙する内に秀吉底知れぬ才覚気付き徹底抗戦姿勢崩さない元春を犠牲にしても毛利家存続させる決意固めている。

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