太田一吉
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太田 一吉(おおた かずよし)は、安土桃山時代の武将、大名。豊後臼杵城主。諱は複数伝わるが、『寛政重修諸家譜』では宗隆(むねたか)。通称は小源五、飛騨守、剃髪して宗善(そうぜん)と号した。
- ^ a b c d e 堀田 1923, p. 956
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 高柳 & 松平 1981, p. 59
- ^ 東京帝国大学文学部史料編纂所 編「国立国会図書館デジタルコレクション 豊臣秀吉小田原陣陣立」 『大日本古文書. 家わけ 三ノ一(伊達家文書之一)』東京帝国大学、1908年、619, 629頁 。
- ^ 吉村茂三郎 著「国立国会図書館デジタルコレクション 松浦古事記」、吉村茂三郎 編 『松浦叢書 郷土史料』 第1、吉村茂三郎、1934年、130頁 。
- ^ a b 須田茂『徳川大名改易録』(崙書房出版、1998年)77頁
- ^ 大村大次郎 『家康の経営戦略国づくりも天下泰平もカネ次第』株式会社秀和システム、2020年、41頁。ISBN 4798060801。
- ^ 塚口直史 『コロナショック後を生き残る日本と世界のシナリオ』すばる舎、2020年、55頁。ISBN 9784799108789。
- ^ 在大分県速見郡日出町大神。大神氏の居城。
- ^ 史料綜覧11編913冊246頁.
- ^ 史料綜覧11編913冊272-273頁.
- ^ 史料綜覧11編913冊277頁.
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