さんじょう‐さねとみ〔サンデウ‐〕【三条実美】
三条実美 (さんじょうさねとみ)
三条実美 さんじょう さねとみ
京都生まれ。公卿、政治家。父は内大臣三条実万。権中納言、議奏、攘夷勅使、国事御用掛などをつとめる。尊皇攘夷派公家の中心的存在であったが、文久3年(1863)尊皇攘夷派の京都追放をねらった8月18日の政変が起こり、七卿落ちの1人として長州に下る。王政復古後、新政府の議定、副総裁、右大臣、修史局総裁などを歴任。明治4年(1871)太政大臣に就任、18年(1885)の太政官制廃止までつとめた。内閣制度創設後は内大臣となり、22年(1889)黒田内閣総辞職後、一時臨時首相を兼任した。
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三条実美
三条実美
三条実美
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 03:41 UTC 版)
太政大臣。誠実な人物だが行政技術が殆ど皆無に近いため、征韓論争において賛成派・反対派から常に圧力を受け続け、西郷渡韓を決定したまさにその日に心労から人事不省に陥った。これが結局は、征韓論争の行く末を決定づけることとなる。
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三条実美
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