ルネサスエレクトロニクス
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ルネサスエレクトロニクス株式会社[注釈 1](英: Renesas Electronics Corporation)は、東京都江東区に本社を置く半導体メーカー。三菱電機および日立製作所から分社化していたルネサス テクノロジと、NECから分社化していたNECエレクトロニクスの経営統合によって、2010年4月に設立された。社名の『Renesas』は、あらゆるシステムに組み込まれることで世の中の先進化を実現していく真の半導体のメーカー(「Renaissance Semiconductor for Advanced Solutions」)を標榜して名付けられた。
- 1 ルネサスエレクトロニクスとは
- 2 ルネサスエレクトロニクスの概要
ルネサス テクノロジ
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「ルネサスエレクトロニクス」の記事における「ルネサス テクノロジ」の解説
1980年代後半のバブル時代には売上高7兆円を超える世界最大の電機メーカーだった日立製作所は、1990年代にはコンピュータと半導体に力を入れることによってバブル時代を上回る売上高を誇ったが、半導体市場は不安定で、1996年より半導体価格の下落によって業績が悪化し、1998年にはDRAM市況の悪化によってついに史上初の赤字に転落する。そのため、1999年には半導体メモリ部門を切り離し、NECのメモリ部門と統合させて「NEC日立メモリ(後のエルピーダメモリ、現・マイクロンジャパン)」を設立した。その後、2001年度に再び赤字に転落したため、2002年に再び半導体事業を再編。DRAM以外の半導体部門(システムLSI、マイコン、DRAM以外のメモリなど)も切り離し、規模で勝負するために三菱電機のマイコン部門と統合させ、新たな半導体会社を設立する協議を始めた。また同年、三菱のDRAM部門をエルピーダに統合した。 2003年4月に日立と三菱の半導体部門(電力制御用半導体を除く)を分社・統合し、ルネサス テクノロジが設立された。ルネサスが発足した2003年度の売上高は約79億ドル(約7000億円)となり、半導体売上高でそれまで国内1位であった東芝を上回って日本1位、世界半導体売上高ランキングではインテル・サムスンに次ぐ世界3位につけた。 2010年頃までのフィーチャーフォン(いわゆる「ガラケー」)時代は携帯電話用SoCの大手で、マルチメディア対応の高性能なアプリケーションプロセッサとして、ルネサスのSH-Mobileシリーズは少なくとも日本国内ではテキサス・インスツルメンツのOMAPと並ぶシェアがあった。2005年当時は、国内市場のみならず海外市場での採用が半数以上を占めており、SH-Mobileコンソーシアムの加盟企業は世界に200社を超え、2005年のSH-Mobileの出荷台数はドリームキャストの出荷台数を上回る1300万個に達した。後に「ガラパゴスケータイ」と呼ばれる日本国内の携帯(フィーチャーフォン)市場の最大手キャリアであるNTTドコモに資源を投入したルネサスは、2004年よりドコモと「SH-Mobile G」シリーズを共同開発し、2006年より携帯端末メーカー各社のドコモ向け製品に搭載された。SH-Mobile G1を採用したのはドコモ陣営の3社だけであったが、2007年には出荷台数が早くも1000万個を突破し、ドコモが展開していた3GサービスであるFOMA端末の50%を占める成功を収めた。 SHマイコンは車載情報機器向けでも大いに普及した。NECエレと統合された2010年当時、カーナビが車載SoCの主要な応用だったが、ルネサスが2005年より展開を開始したカーナビ向けSoC「SH-Navi」のシェアは国内で97%、海外で57%と圧倒的だった。 NECの半導体部門を統合する2010年までには、半導体を単に設計・製造するだけでなく、ソフトウェアを含めた本当の意味でのシステムソリューションを提供する企業へとシフトしていった。2006年より行われた、NTTドコモや複数の携帯電話製造会社との協業によるFOMA向けプラットフォームの供給開始はその最たる例の一つであった。ルネサスとNECエレの統合が開始される2009年当時、家電などデジタル民生向けのソリューションに強みがあったNECエレに対し、ルネサスは携帯電話や自動車向けのソリューションに強みがあった。 2000年代における経営は好調だったが、マイコンは安く買い叩かれるため、例えば2006年度の売上高は9,526億円、営業利益は235億円(売上高営業利益率2.47%)と、1兆円近い売上高に対してほとんど利益が出ていなかった。携帯と車載がルネサスの利益を支えていたが、2008年には世界同時不況(リーマン・ショック)もあって携帯電話向けと自動車向けが共に不調で、2009年3月期には赤字に転落。日立グループに1000億近い赤字をもたらしたため、抜本的な経営体質の強化を図ることになった。
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ルネサス テクノロジ
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「ルネサスエレクトロニクス」の記事における「ルネサス テクノロジ」の解説
2002年3月18日 - 日立製作所と三菱電機との間でシステムLSIなどの事業を分社・統合する方針で基本合意。 10月3日 - 新会社の承継事業などの内容がほぼ決定し、社名を「ルネサス テクノロジ(Renesas Technology Corp.)」とすることを正式発表。 2003年4月1日 - 日立製作所と三菱電機からそれぞれの半導体事業(一部を除く)を分社・承継する新会社として分社型共同新設分割により設立。資本金500億円(日立55%、三菱45%)。本社を丸ビル(東京都千代田区丸の内二丁目4番1号)とする。ブランドステートメント「Everywhere you imagine」を制定。初代会長に長澤紘一、初代社長に伊藤達が就任。 2006年4月1日 - 二代目会長に伊藤達、二代目社長に塚本克博が就任。 2007年8月10日 - 本社を日本ビル(千代田区大手町二丁目6番2号)に移転。 2009年4月1日 - 三代目会長に塚本克博、三代目社長に赤尾泰が就任。
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「ルネサス テクノロジ」の例文・使い方・用例・文例
- 2001年,ルネサス高(たか)崎(さき)女子ソフトボール部に加入。
- 高校卒業後に入るチームを探していたとき,ルネサス高崎の宇(う)津(つ)木(ぎ)妙(たえ)子(こ)監督(当時)にお会いしました。
- 実際に,訪問したすべてのチームの中で,ルネサスの練習が一番楽しかったので,このチームに入ることを決めました。
- バイオテクノロジーの新しい傾向
- この記事はナノテクノロジーの最近の進歩を要約している。
- コンピュータテクノロジーの発達が、「モバイルワーク」という、働く場所を自由に選べる新しいワークスタイルの登場を可能にした。
- テクノロジーは内容には全く影響を及ぼさない。
- これは、驚くべきテクノロジーです。
- それは驚くべきテクノロジーです。
- 私、株式会社石川テクノロジーの宣伝部の次長の坂本と申します。
- 古代のオーバーテクノロジーの武器は必ず制御ができなくなる。
- シャッターを押すだけで、最新のテクノロジーがキレイな一枚に仕上げます。
- ただの本なら、宇宙警察がでしゃばりはしないわ、問題はこれがオーバーテクノロジーの塊だってこと。
- バイオテクノロジーは農業に革命をもたらすだろう。
- データの多数の関係項目にアクセスするにはコンピューター・テクノロジーが不可欠である。
- インターネットのテクノロジーは日進月歩、いや、秒進分歩で進歩している。
- 「バイオテクノロジー(人間工学)」という言葉が普通に使われるようになったのは、いつ頃ですか。
- あっと言わせるテクノロジー.
- 福田教授はバイオテクノロジーの分野で優れた業績をあげている.
- 科学とテクノロジーは破壊にも生活向上にも使えるもろ刃の剣である.
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