ドイツ軍の防衛対応とは? わかりやすく解説

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ドイツ軍の防衛対応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:32 UTC 版)

ノルマンディー上陸作戦」の記事における「ドイツ軍の防衛対応」の解説

連合軍侵攻司令部への第一報は、午前2時11分に第716師団から第84軍団司令部への「パラシュート部隊オルヌ川東岸降下した」というものであった。この一報があったときには司令官マルクス誕生日サプライズパーティーのあとで、マルクス参謀らは本日図上演習準備中であった。この一報はまるで「一撃」のようで、報告聞いたマルクス身体固くしたが、マルクス速やかに第7軍のベムゼル参謀長報告した。ベムゼルはこの空挺作戦上陸作戦前哨戦だと判断すると、すぐにB軍集団参謀長ハンス・シュパイデル中将電話叩き起こし、「パラシュート降下は、重大な攻撃作戦先駆をなすものだ。そのうえ、海上には船の機関の音が聞こえる」と報告した。しかし、ノルマンディーから遥か遠くにあるラ・ロシュ=ギヨンのB軍集団司令部には戦闘切迫感感じ取ることができず、シュパイデルは「敵の行動はまった局地的なのである」と判断しドイツ自宅就寝中の司令官ロンメルにも報告しなかった。 同じころに前線から西方総軍司令部へ、空挺部隊戦闘中10人あまりの捕虜もとったという報告上がっていたが、同時に連合軍欺瞞作戦多数空挺兵偽装した藁人形大量に投下されているという報告もあっており、西方総軍のボド・ツィメルマン作戦部長は、捕虜になったのは撃墜され爆撃機搭乗員であり、「敵の行動大規模な空挺作戦とは思えないドーバー海峡にいる海軍司令官によれば、敵は藁人形投下しているだけに」と連合軍側の欺瞞作戦ひっかかって誤った判断下して就寝中の司令官ルントシュテットには報告しなかった。他にも、様々な報告が各ドイツ軍司令部寄せられたが、規模報告錯綜しており、また、これまでの連合軍による欺瞞作戦功を奏して、他のドイツ軍司令官幕僚たちもパ・ド・カレーへの本格的上陸作戦対す陽動作戦に過ぎないという見方をする者も多く夜が明けるまで積極的な対応を控えてしまい、貴重な時間浪費することとなった連合軍上陸前夜ベルヒテスガーデンベルクホーフ滞在していたヒトラーは、エヴァ・ブラウンヨーゼフ・ゲッベルス映画のことなどで歓談し夜更かししており、就寝したのは午前3時であった午前5時半ごろにヒトラー副官カール=イェスコ・フォン・プットカマー准将に「フランス上陸しきものが行われた」という曖昧な報告よせられたが、ヒトラー不眠症悩まされて、専属医から強力な睡眠薬処方されてようやく寝入っており、プットカマーと専属医は協議のうえ「こんな時間起こしたら、いつも決まってきちがいじみた決定下すことになる。あの神経の発作がまた始まらないともかぎらないからね」として、ヒトラー起こさないこととしている。 ヒトラー起床してこの報告受けた時間については諸説あり、ヒトラー個人副官オットー・ギュンシェ親衛隊大尉によれば午前8時にはベルクホーフ大広間現れていたとされる。そこでヒトラー幕僚らと面会する前には既に報告をうけていたようで、そこでヒトラー一同目の前にすると「紳士諸君、これは侵攻である。あそこを攻めるとは余がかねがね申しておっと通りではないか」と自分かねてからノルマンディーへの連合軍上陸予測していたと自信満々語っている。しかし、アルベルト・シュペーアなどヒトラー起床遅かったという証言をする関係者もおり、真相不明である。いずれにしてもヒトラー自分予想通りノルマンディ連合軍上陸してきたので、海際粉砕できると自信満々長広舌振るったという。 しかし、肝心反撃戦力として内陸拘置されている装甲師団投入許可されなかった。前線では、日の出後になってこれを本格上陸断定しOKWノルマンディ担当第7軍をはじめ、B軍集団西方総軍などからも、装甲師団投入について矢のよう催促があったが、全て却下された。OKW担当者却下理由として「敵上陸部隊主力はまったく違う場所に襲来することになっている」などと言ったため、激怒した西方総軍幕僚が「ひとまず当面の敵を粉砕すべき」「この上陸を許せば、敵は間違いなくここに戦力集中してくる」と議論試みたが、OKW担当者本当却下理由を「(装甲師団投入の)決断をできるのは総統閣下おひとりである」とまだヒトラー承認していないためと明かしている。 正午ベルクホーフ大広間にて作戦会議開催された。ヒトラー上機嫌ヴィルヘルム・カイテル元帥ヘルマン・ゲーリング元帥などを前にして「これ以上の好ニュースは、いままで聞いたとがない奴らイギリスにいる間は何もできなかったが、いまや、奴ら撃破できる」「敵は私の腹中入った進んで敗北への途を選んだのだ」と口舌振るうと、15時になってようやく拘置していた3個装甲師団の戦場投入許可した。このヒトラー判断の遅れはドイツ軍にとって非常に痛かった上陸当日午前中天候悪く視界も不十分で、装甲師団空襲受けず移動できた可能性大きく、特に精鋭第12SS装甲師団幅広い戦場に展開が可能で連合軍の進撃遅らせることができたはずであった。しかし、出撃命令があったときには天候回復し航空攻撃激化しており、第12SS装甲師団日没まで全く動くことができなかった。 ドイツ本土ヘルリンゲンの自宅にいたロンメルが、連合軍上陸開始連絡受けたのは午前10時15分に至ってのことであったロンメルそのとき「私はどうかしていた。大馬鹿者だ」と嘆いたという。ロンメル慌ててヒトラーとの会見キャンセルしラ・ロシュ=ギヨンにある司令部向かった前線ではロンメル指揮であった21装甲師団英語版)が反撃のために集結し増援待っていたが、午後5時前にロンメルからシュパイデル連絡入った。そこで、シュパイデル連合軍の主作戦地がノルマンディとはまだ確定できないこと、第21装甲師団増援待って反撃転じるとの報告を行うと、ロンメルはそれを一喝し、直ちに第21装甲師団単独反撃を行うよう命じたロンメル命令に従って連合軍空襲大損害を被っていた第22戦車連隊は、第192装甲擲弾兵連隊第1大隊協同連合軍上陸した海岸に向け突進したが、途中でイギリス軍27機甲旅団激突し一方的にIV号戦車19輌を撃破されて撃退された。 司令部到着したロンメルは、すぐに作戦室入り状況説明受けたが、攻撃命じた指揮下の第21装甲師団不明との報告であったまた、第12SS装甲師団装甲教導師団動いていないことについても、ヒトラー決断遅れたことの説明を受けると、「狂気の沙汰だな」と呟きもはや手遅れとなった頃合いに、ようやく到着するのだろう」と皮肉を交えて嘆いた遅ればせながら装甲師団投入決断したヒトラーはさらに強気になり、OKWからは浮世離れした命令次々と西方総軍下された前線第7軍ヒトラーお望み伝達に過ぎない6月6日夕刻までに敵を撃滅せよ」「全部隊はカルヴァドス県侵入点に向け方向転換をせねばならず、敵の海岸堡今夕、より遅くない時間までに一掃されなければならない」という命令受け取っているが、参謀長は「それは無理です」と返答している。ヒトラーOKW明らかに連合軍空の脅威軽視しており、ヒトラーは、第12SS装甲師団装甲教導師団投入連合軍を海に叩き落せると目論んでいたが、実際に前述通り第12SS装甲師団日没まで動くこともできず、装甲教導師団至ってOKW命令守り日中戦力集中させたため、連合軍激し空襲浴びて装甲車85輌、戦車5輌、トラック123台(うち燃料車80台)が撃破される大損害を被ってしまった。ドイツ軍連合軍の攻撃機をヤーボJabo)と呼んで恐れたが、ロンメル幾度となくヤーボ襲われ6月10日西部方面戦車軍司令部車で向かったロンメル到着までに30回もヤーボ襲われそのたびに車を捨てて腹ばいになってヤーボをやり過ごしたので、司令部到着したときには泥まみれであった

※この「ドイツ軍の防衛対応」の解説は、「ノルマンディー上陸作戦」の解説の一部です。
「ドイツ軍の防衛対応」を含む「ノルマンディー上陸作戦」の記事については、「ノルマンディー上陸作戦」の概要を参照ください。

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