ドイツ軍の第二次反攻(3月初旬〜中旬)、クルスクの戦いへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:56 UTC 版)
「第三次ハリコフ攻防戦」の記事における「ドイツ軍の第二次反攻(3月初旬〜中旬)、クルスクの戦いへ」の解説
3月7日、南西方面軍を包囲殲滅した第4装甲軍の第48装甲軍団とSS装甲軍団は、ヴォロネジ方面軍の側面を攻撃する為にハリコフ方面に、同じ目的でケンプ軍支隊が、ベルゴロド方面に前進を開始。ソ連軍は西方へ進撃していた第3戦車軍を呼び戻してハリコフの防衛に当たらせるが、側面を攻撃されたことによりヴォロネジ方面軍の第3戦車軍、第40軍、第69軍が撃破され、逆に包囲の危機に晒されて壊走した。15日にはハリコフを奪還され、3月中旬にはドイツ軍はベルゴロドも回復した。こうして、スターリングラードの包囲以降続いていたドイツ軍南翼の危機は回避され、むしろソ連軍南翼が崩壊状態に追い込まれた。 次はクルスクで突出している部分へ攻勢をかけるべきであったが、春の泥濘期に入ったこと、突出部北部の中央軍集団が冬期戦の目処がついたことによって部隊の休養を宣言したことなどがあり、双方の軍事行動は一旦中止された。 ドイツ軍はこのクルスク突出部を攻撃する「ツィタデレ作戦」を5月初旬に開始する事を決めていたが、延期に延期が続き、7月からのクルスクの戦いでは十分に整えられたソ連軍の備えに苦しみ、敗退する事になる。
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