ドイツ軍の降伏勧告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:01 UTC 版)
バストーニュを事実上包囲した第26国民擲弾兵師団のココットは、攻略したシブレの住民からバストーニュのアメリカ軍は潰走を始めているという情報を聞くと、降伏勧告を行えばバストーニュのアメリカ軍は簡単に降参するのではと考えて、第47装甲軍団司令官ハインリヒ・フォン・ルトヴィッツ(英語版)中将に許可を求めた。ルトヴィッツは1個師団もの戦力が降伏すればアメリカ軍全体の士気に及ぼす影響は計り知れないものになるとココットの進言を承認した。12月22日の正午前に大きな白旗を持った4人の軍使がアメリカ軍陣地前に現れ、応対したアメリカ兵に英語で「降伏条件です」と言って封筒を渡した。その封筒は直ちに司令部に届けられて、第101空挺師団参謀が封筒を開けて内容を確認した。 1944年12月22日、包囲されたバストーニュの町のアメリカ司令官へ戦争の運勢は変わりつつある。今回、バストーニュとその周辺のアメリカ軍は、強力なドイツの装甲部隊に包囲されている。包囲されたアメリカ軍を全滅から救う唯一の可能性がある。それは包囲された町の名誉ある降伏である。この提案が拒否されるべきならば、ドイツ砲兵隊と6個の高射砲大隊はバストーニュとその近くでアメリカ軍を殲滅する準備ができている。この砲撃によって引き起こされるすべての深刻な民間人の損害は、よく知られているアメリカの人道主義には合致しないものと思われる。 — ドイツ軍司令官 マコーリフはココットらの推測とは全く違い、空挺部隊は敵中に孤立して戦うのが本務であって、包囲されている状況では上部に妨害されず空挺の本務通りに「自由に戦力を駆使して存分に戦える」と思っており、降伏など論外であった。逆にマコーリフはドイツ軍捕虜から、ドイツ軍は食料が不足しており、ドイツ兵はバストーニュを占領すれば腹いっぱい食べることができると上官からけしかけられていることや、弾薬も不足気味になっており支援砲撃も十分にできなくなっているなどの情報をつかんで、「降伏すべきは自分たちではなく敵である」と考えており、この降伏勧告に「NUTS!(ふざけるな!)」もしくは「shit」と舌打ちした。やがて、ドイツ軍への正式な回答を書こうとマコーリフはペンを握ったが、適当な文章が思いつかず悩んでいると、参謀から「先ほどのお言葉が冴えていると思われますが」という提案があった。そこでマコーリフはのちに有名になるたった一言の回答を書きあげた。 ドイツ軍司令官へNUTS! — アメリカ軍司令官 回答はドイツ軍軍使が現れた地域の指揮官であった第327グライダー連隊長J.ハーパー大佐が自ら志願してドイツ軍軍使に手渡すことになった。受け取ったドイツ軍軍使は意味が理解できず「これは受諾ですか拒否ですか?」とハーパーに尋ねると、ハーパーは「もしドイツ軍が攻撃を続けるならば、わが方は、この町に突入しようとするドイツ兵をみな殺しにする。これは約束する。」と答えている。その回答を聞いたドイツ軍軍使は直立不動で敬礼をすると「わが軍も、アメリカ兵を殺します。それが戦争です」とだけ言い残して戻っていった。ドイツ軍が降伏勧告を行い、それをマコーリフが拒否したという話はすぐにバストーニュのアメリカ全軍に伝わって士気はますます高まった。
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