イベリア半島(アンダルス)と北西アフリカ(マグリブ)
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「イスラム美術」の記事における「イベリア半島(アンダルス)と北西アフリカ(マグリブ)」の解説
歴史時代:アンダルスのウマイヤ朝、タイファ時代、ムラービト朝とムワッヒド朝のスルターン治世、ハフス朝、ザイヤーン朝、ナスル朝、マリーン朝 アンダルスに定着した最初のイスラーム王朝は、アンダルスのウマイヤ朝(後ウマイヤ朝、756年-1031年)であった。その名の示すように、この王統は9世紀にアッバース家に敗れたシリアのウマイヤ家の末裔だった。11世紀末には、ベルベル人の2つの部族がムラービト朝とムワッヒド朝として相続いてマグリブとスペインを支配した。両者は美術にマグリブの影響をもたらした。ムワッヒド朝の後継となったのはフェズを首都とするマリーン朝(1196年-1465年)、チュニスを中心とするハフス朝(1229年-1574年)、そしてナスル朝との密な交易やアラゴン連合王国およびマリーン朝とも同盟したザイヤーン朝(1236年-1550年)であった。 アンダルスのウマイヤ朝は、イブン=ルシュドの思想など、西洋世界では知られていなかった哲学や科学の広がりを可能にした数々の大学のほか、美術にも富んでいた。建築では首都コルドバのメスキータ(大モスク)をはじめ、トレドのバブ・マルドゥム(フランス語版)や、カリフの都だったメディナ・アサーラ(ザフラー宮殿)なども重要である。この時代の傑出した建築として、ナスル朝によるグラナダのアルハンブラ宮殿もある。西ゴート族、さらにはローマをモデルとした半円アーチのフォルムはスペイン建築の特色を示しているが、同様に頻繁に使用される多弁形のアーチはイスラーム時代の典型的な特徴のようである。ミフラーブを小さな部屋として扱うのもスペインの特徴である。 工芸ではさまざまな技法が凝らされた。アンダルスのウマイヤ朝の北アフリカ進出にともない象牙が入手しやすくなったことから象牙細工が発展し、精緻な箱や宝石箱がカリフ一族など富裕層のために作られた。中でもムギーラの小箱(フランス語版)が傑作であり、精緻な浮彫で4つの場面が描かれているが、その図像の意味は詳らかにはなっていない。 イスラーム世界ではどちらかと言えば稀であった大きな丸彫り(フランス語版)彫刻も日の目を見た。金属製の丸彫りは水盤や噴水の吐水口として、石製の丸彫りは例えばアルハンブラ宮殿の「獅子の噴水」の支えとして用いられた。 織物、特に絹は大部分が輸出された。その多くの例が西洋の教会の宝物庫で、聖人たちの骸骨を包む布として再発見されている。焼き物では伝統技術が駆使され、とりわけラスター彩が化粧板や一連の「アルハンブラの壺」に用いられた。マグリブ人の諸王朝による支配を受けてからは、彫刻と彩色の施された木工芸への趣味も見られるようになる。1137年のものとされるマラケシュのクトゥビーヤ・モスクのミンバル(説教壇)はその最良の例の1つである。 北アフリカの建築については、脱植民地化以降に研究が行われなかったためあまり知られていない。ムラービト朝とムワッヒド朝は、装飾のない壁を持つモスクなどから窺い知れるような簡素さの探求が特徴となっている。マリーン朝とハフス朝は重要だがほとんど知られていない建築様式や、彩色・彫刻・象嵌を施した木工芸を生み出した。西アフリカ初のイスラーム王朝マリ帝国で首都のトンブクトゥにジンガリベリ・ モスク(英語版)(1327年)が建設された際には、アンダルス出身の詩人・建築家のアブー・イスハーク・サーヒリーが携わった。日干し煉瓦と泥塗という当地の伝統的な工法が使われている。 キリスト教の諸王によるレコンキスタでアンダルスは徐々に征服され、14世紀にはイスラーム王朝はグラナダを首都とするナスル朝のみとなり、ナスル朝は1492年まで存続した。レコンキスタでキリスト教王朝の支配下となった地域では、イスラーム教徒は税を払うことによって居住を許された。建築ではイスラーム教徒を中心にムデハル様式が受け継がれ、特に12世以降にキリスト教徒の宮廷、聖堂、邸宅に用いられた。
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