アンダルスとは?

辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書

初めての方へ

参加元一覧


用語解説|動画|文献|商品|全文検索
Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アンダルスの意味・解説 

ウィキペディア

ウィキペディアウィキペディア

アンダルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/04/11 10:10 UTC 版)

アルハンブラ宮殿のライオンの中庭

アル=アンダルススペイン語: Al-Ándalusアラビア語: الأندلس‎、al-ʾandalus)とは、イスラーム世界において歴史的にスペインアンダルシア地方を中心とするイスラーム勢力統治下のイベリア半島一帯のことを漠然と指す呼称。レコンキスタでイスラーム勢力統治領域が狭まっても、史料でキリスト教諸国の領域はアンダルスとして扱われることはほとんどなく、レコンキスタ最末期に「アンダルス」との言及があれば、それはナスル朝の領域を指す。

アンダルスの歴史
Mosque Cordoba.jpg

711-732 ウマイヤ朝の征服


756-1039 西カリフ帝国


1039-1085 タイファ諸王国


1147-1238 ムワッヒド朝


1238-1492 グラナダ王国

目次

アンダルスの語源

ゲルマン人の一派ヴァンダル人アラビア語 アル=アンダリーシュ)の名前が訛って変化したものと考えられているほか、アトランティスに由来する、あるいは西ゴートに割り当てられた土地等諸説ある[1]

歴史

イスラームのイベリア半島上陸

ムスリムによるイベリア半島の征服活動は711年ウマイヤ朝アラブ人のイフリーキヤ(北アフリカ)総督ムーサ・ブン・ヌサイル(Musa bin Nusayr:موسى بن نصيرالبلوي‎)の部下ベルベル人ターリク・ブン・ジヤードが7000人のベルベル人兵士からなる軍を率いてジブラルタルに上陸し、その後すぐに5,000人の追加派遣がなされ総勢12,000人の軍が侵攻したことから開始された[2][* 1]。さらに翌年ムーサ・ブン・ヌサイル自らアラブ人兵士10,000の軍を率い侵攻した[3][4]。これらのイスラーム軍により西ゴート王国が滅ぼされ、714年にはイベリア半島ほぼ全域がその支配下となった[5]

713年夏にムーサはカリフの承認なしに行動したとして非難され、ワリード1世によりダマスカスへ召還命令が出されたものの、西ゴート王国の王侯400人と奴隷、財宝を伴って帰還した[6][7]。715年2月にダマスカスに到着し、非はとがめられずに凱旋として遇され、カリフによる祝宴が催された[8][9]

ムーサが召還命令を受けたとき、アンダルスは彼の第2子アブド・アル=アジーズ(Abd al-Aziz ibn Musa:عبد العزيز بن موسى‎)に委ねられ、後にアブド・アル=アジーズが初代総督(アミール)に任じられたものの、716年に暗殺された[10][11]。総督の政庁をアブドはセビリア (إشبيلية; ’ishbīlīya) としたが、6代目総督アル=サムフ・イブン・マーリク・アル=ハウラニーによりコルドバへ移され、後ウマイヤ朝に続くこととなった[12]

中東と異なりイベリア半島においては、アラブ人、ベルベル人兵士は軍営都市(ミスル)に集住せずに農村地帯に散らばった[13]。このときの入植地は、ウマイヤ朝支配層のアラブがアンダルス南部の肥沃な地帯であったのに対し、ベルベルは北部辺境あるいは山岳地帯であった[13]

後ウマイヤ朝

後ウマイヤ朝以後

1031年のイベリア半島の状況

アンダルスの対岸であるマグリブで強勢を誇ったムラービト朝ムワッヒド朝マリーン朝君主たちは、カスティーリャ王国などカトリック王国のレコンキスタに対し、イスラム教の勢力を維持し、タイファ諸国(後ウマイヤ朝滅亡後のイスラーム小王国)を援助する名目でアル=アンダルスに影響力を及ぼそうとしばしば試みた。

ムスリム支配の終わり

スペインのカトリック両王によりアンダルスは征服され、その後イスラム、ユダヤ教徒の強制改宗や追放が行われた。アラビア語は禁止され、又言語純化政策の中でスペイン語(カスティーリャ語)の中の大量のアラビア語語彙も排撃の対象となった。 それにもかかわらず現在のスペイン語には四千語に渡るアラビア語系語彙が残存し、又南部アンダルシアやムルシアの文化、習俗はイスラーム時代のそれを強く残している。ムスリムによってもたらされた工芸、建築技術、農業技術などはスペイン全土にその影響をとどめている。スペインを象徴するアルハンブラ宮殿は元々ナスル朝グラナダ王国の居城だった。 このことから、「カトリック両王は軍事的には確かにイスラームを征服したが、文化的には遂にイスラームを屈服させられなかった。」ともいわれる。[要出典]

社会

住民構成

西ゴート時代の住人に、移住してきたアラブ人やベルベル人が加わり、改宗や通婚が進んだ。このため、ムスリムにはムラディという社会階層が生まれた。キリスト教徒やユダヤ教徒はズィンミーとして共存がはかられ、キリスト教徒はモサラベとも呼ばれた。

西ゴート時代と比べるとユダヤ教徒の社会進出が容易となったため、ユダヤ教徒の人口が急増した。キリスト教徒は、9世紀中葉にはコルドバで殉教者が出るなどの衝突があったものの、イスラームへの改宗が続いた。改宗は後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン2世の時代から積極的に行われ、相対的にキリスト教徒よりもユダヤ教徒の影響力が強まった。

言語

ローマ帝国の時代から続いていたラテン語は衰退し、ムスリムのアラビア語、キリスト教徒のロマンス語、ユダヤ教徒のヘブライ語が並存した。キリスト教徒が使うモサラベ語はアラビア語の影響をうけ、のちに他のイベロ・ロマンス語に影響を与えた。モサラベの中にアラビア語が広まる一方で、アラビア語もロマンス語の影響をうけ、アル・アンダルス=アラビア語が生まれた。ロマンス語風とアラビア語風の二つの名前を持つ者も現れるようになり、こうした多言語社会は、アンダルスのみならずキリスト教が支配する地域の文芸に影響を与えた。

経済

イベリア半島に定住したムスリムは、イスラーム世界の先進的な農業技術を伝え、灌漑を行って農地の拡大に努めた。綿花サトウキビザクロサフラン、などの東方作物の移植も進んだ。都市では繊維工業、製紙工業が盛んとなり、コルドバ、マラガ、アルメリア羊毛、ベザ、カルセナの絨毯マラガバレンシア陶器コルドバトレドの武器、コルドバの皮革、ジャティバ、バレンシアの紙というように、各地で名産が産まれ、地中海沿岸の諸都市を拠点にして、エジプトシリア東ローマ帝国のコンスタンティノープルとの海上交易が盛んになった。アンダルスの物産は東方イスラーム世界や東ローマ帝国に輸出された。

アンダルスは奴隷貿易の中継点でもあった。スラヴ人をはじめとするヨーロッパ内部からの奴隷(サカーリバ)やアフリカからの黒人奴隷が、直接カイロあるいはバグダードへ送られるルートの他に、アンダルスを経由するルートが存在していた[14]。アンダルスを経由する理由として、古くからの習慣によりアンダルスの港町アルメリア近くで奴隷に去勢手術を施すということがあり、施術の後東方へ送られていった[15]


注釈

  1. ^ 佐藤次高 (1997)、p.210 では、12,000人としている。ルイス (1985)、p.118 では、7,000人としている。私市 (2002)、p.213 では、この人数については同時代史料がほとんどないことから、正確には困難としている。

出典

  1. ^ 佐藤健太郎 (2008)、pp.71-72.
  2. ^ 私市 (2002)、p.213
  3. ^ 佐藤次高 (1997)、p.210
  4. ^ ヒッティ (1983)、pp.294-295.
  5. ^ 佐藤健太郎 (2008)、pp.70-71.
  6. ^ 佐藤次高 (1997)、pp.210-211.
  7. ^ ヒッティ (1983)、pp.295-297.
  8. ^ 佐藤次高 (1997)、p.211
  9. ^ ヒッティ (1983)、p.297
  10. ^ 佐藤健太郎 (2008)、p.72
  11. ^ ヒッティ (1983)、pp.295, 306-307.
  12. ^ ヒッティ (1983)、p.307
  13. ^ a b 佐藤健太郎 (2008)、p.74
  14. ^ 佐藤次高 (1997)、pp.226-227.
  15. ^ 佐藤次高 (1997)、p.227


「アンダルス」の続きの解説一覧





アンダルスに関係した商品


アンダルスのページへのリンク
「アンダルス」の関連用語
アンダルスのお隣キーワード
モバイル
モバイル版のWeblioは、下記のURLからアクセスしてください。
http://m.weblio.jp/
» モバイルで「アンダルス」を見る
_ _   


アンダルスのページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアンダルス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2012 Weblio RSS