アメリカ合衆国副大統領
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アメリカ合衆国副大統領(アメリカがっしゅうこくふくだいとうりょう、英語:Vice President of the United States of America、略称:VPOTUS、通称:VP、Veep)は、アメリカ合衆国の行政府を代表する第2位の官職である。4年ごとに実施される大統領選挙によって、アメリカ合衆国大統領と共に選出される。なお歴代の副大統領は、以下の「#歴代副大統領一覧」を参照のこと。現職は2021年1月20日より第49代のカマラ・ハリス(民主党)が在任している(2020年アメリカ合衆国大統領選挙による選出)。
注釈
- ^ アメリカ合衆国下院では在任中の議長が一議員として自ら議論に加わることを認めており、実際にその権利が行使されることも稀にある。
- ^ 近年の大統領選挙では、ほとんどの副大統領候補の発表が全国党大会の2〜3週間前から2〜3日前の間に行なわれている。なお、代議員獲得数が複数の候補間で大きく割れて明らかな本命がいない場合には、党大会における代議員投票で実際に大統領候補を選出して指名を行うまで、副大統領候補も決まらない。
- ^ 特定候補への投票を誓約しない選挙人団の立候補・被選出も可能だが、近年では非誓約選挙人が選出された例はない。
- ^ 1980年の共和党の予備選挙では、前半でブッシュ元CIA長官が予想以上に善戦した。そのため過半数を優に超える代議員数を得ていたレーガン元カリフォルニア州知事も、副大統領候補の選定には慎重にならざるを得ない状況にあった。指名は全国党大会の最終日前日に行われる大統領候補指名の後まで持ち越しとなったが、このときドリームチケットとして紙面を賑わせたのがフォード前大統領をレーガンの伴走者にするという「レーガン=フォード」チケット構想である。フォードはニクソン大統領の指名と上下両院の承認をもって副大統領に就任、さらに翌年にはニクソン辞任にともない大統領に昇格した。ところが現職大統領として戦った1976年の大統領選挙では民主党のカーター候補に敗れている。この「大統領選挙に一度も勝ったことがない大統領」に何とか勝利の美酒を味わわせたいという願いもあって、この案は各方面から支持され、一時は既定のシナリオとみなされていた。しかし「ホワイトハウスは2人の大統領の仕事場としては狭すぎる」と判断したレーガンは、結局党内融和と左右のバランスを優先、予備選挙で次点となったブッシュを副大統領候補に指名した。
- ^ 合衆国憲法修正25条第2節
- ^ この選挙は現職副大統領のジェファソンが現職大統領のアダムズを破るという「革命的な選挙」だった。詳細は「1800年アメリカ合衆国大統領選挙」を参照。
- ^ 副大統領2期目在任中に大統領選に出馬して当選したのは初代副大統領のアダムズ以来192年ぶりのことで、ブッシュは「副大統領職は長く務めるほど自身の大統領選が不利になる」という長年のジンクスを覆している。
- ^ クエール副大統領は1988年の選挙戦の頃から失言や出来の悪いジョークなどが目立ち、これが副大統領となってからも一向に改まる気配がなかったことから、「万が一の場合の大統領」としての資質を各方面から問われていた。そのため1992年の大統領選で再選を目指すブッシュ大統領には、与党共和党からクエールを更迭すべきだという要請が数多く寄せられていた。しかし自分もレーガン大統領のもとで8年副大統領を務め、何かとこの「偉大な大統領」と比較されることが多かったブッシュは、こうした勧告に一切耳を貸さなかった。ブッシュはこの大統領選で敗北している。
- ^ なお、バーはニューヨーク州知事選落選直後の1804年7月、法曹界時代から家族ぐるみで対立関係にあったハミルトン財務長官を「ウィホーケンの決闘」で殺害したことにより、ニューヨーク・ニュージャージー両州から殺人罪で起訴されている(ただし後に両州とも起訴を取下げている)。決闘の直接原因は1800年の大統領選挙で、連邦党に属しながら民主共和党のジェファソンを支持していたハミルトンは、同じ民主共和党から立候補していたバーの当選を阻止するため、下院で多数を占める連邦党を説得しジェファソン支持に回らせ、バーの怒りを買った。この大統領選挙の混乱と顛末が憲法修正第12条提案につながる。決闘は修正第12条の批准完了から約1ヶ月後の出来事だった。バーは政界引退後大西部探検旅行に出るが、帰ってきたところを今度は国家反逆罪容疑で逮捕収監されている。合衆国が新たに購入したルイジアナを奪って帝位に即き、スペイン領メキシコに対して戦争を仕掛けることを目論んだ、という壮大な内容の容疑だったが、公判では証拠不十分で無罪となっている。その後は人目を避けてしばらく欧州に「亡命」するなど、何かにつけて異色の副大統領だった。
- ^ ただしルーズベルトはウォレスを商務長官に転出させることで宥和を計っている。
- ^ 大統領への昇格を除いて在任が最短なのはウィリアム・キング(在任45日で病死・大統領への昇格を含めるとジョン・タイラー(31日・ウィリアム・ハリソン大統領病死により昇格)、アンドリュー・ジョンソン(42日・エイブラハム・リンカーン大統領暗殺により昇格)に次いで3番目に短い)。
出典
- ^ 【米国を知るキーワード】副大統領から占う次期大統領選『産経新聞』朝刊2022年6月4日オピニオン面(2022年6月8日閲覧)
- 1 アメリカ合衆国副大統領とは
- 2 アメリカ合衆国副大統領の概要
- 3 職務
- 4 位置付け
- 5 選出
- 6 資格
- 7 出身
- 8 存命の副大統領経験者
アメリカ合衆国副大統領
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「カマラ・ハリス」の記事における「アメリカ合衆国副大統領」の解説
2021年1月20日にバイデンとハリスの大統領・副大統領就任式が行われ、宣誓を行って第49代副大統領に就任した。初の女性・アフリカ系・アジア系の副大統領となった。上院の議席は副大統領(上院議長)としてのハリスの議長決裁を加えて民主党が過半数を得ている状態にある。下院議長も女性のナンシー・ペロシであり、そのため4月28日のバイデンの上下両院施政方針演説では上下両院議長席に座っているのがどちらも女性となり、これはアメリカ史上初めての光景であった。 3月24日にバイデン大統領は南部国境にメキシコからアメリカへ移民することを希望する者が殺到している問題のトップにハリスを当てた。ハリスは3月24日のアメリカのCBSのインタビューにおいて、メキシコや北部三角地帯(ホンジュラス・グアテマラ・エルサルバドル)から難民がアメリカに流れ込んでくることの「根本原因への対応」が必要と述べ、「あの地域の諸国からなぜ大勢がアメリカにやってくるのか。各国の発展を支援することで、大勢がやってくる原因にも取り組む。そのために必要なことをするという形で対応する」と語った。 2021年4月にアメリカを訪問した日本の菅義偉首相と会見した。ハリスは3月にオンラインで行われた日本・アメリカ・オーストラリア・インドの4か国による首脳会合に触れて「インド太平洋地域の平和と安定を維持していくための両国の決意について議論することを楽しみにしている」と述べた。菅は「コロナ禍の中で、初めての外国首脳としてお招き頂いたことを大変感謝している。バイデン、ハリス政権が同盟国との協調を重視していることを高く評価している」と応じた。また菅が東京五輪開催実現の決意を述べたことにハリスは支持を表明した。 2021年5月にアメリカを訪問した大韓民国の文在寅大統領と会見した。新型コロナウイルスワクチン接種者の行動指針が緩和されていたことにより会見はマスク無し握手有りで行われたが、文に握手を求められた際にハリスは若干ためらい、握手後にズボンで手を拭くような挙動をしたことが無礼ではないかとの物議をかもした。 2021年11月、ジョー・バイデン大統領が健康診断を受けている85分間大統領権限を担う。一時的ではあるが、アメリカで女性が大統領権限を担うのは初めて。 2021年12月に国家宇宙会議を、女性初、黒人初の議長として務めた。
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アメリカ合衆国副大統領
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「マイク・ペンス」の記事における「アメリカ合衆国副大統領」の解説
同年11月9日に執行された2016年アメリカ合衆国大統領選挙ではトランプが勝利し、ペンスがティーパーティー関係者としては初めて副大統領となることが決定した。11月11日、トランプの政権移行チームの責任者に就任する。副大統領としての活動はジョージ・W・ブッシュ政権のディック・チェイニーを手本にすると述べ、チェイニーのように次期副大統領でありながら閣僚の人選を指揮した。それまで政権移行チームで責任者を務めていたクリスティの降格には、イヴァンカの夫のジャレッド・クシュナーの意向が働いたとされる。 クラレンス・トーマス最高裁判所陪席判事を伴い、就任宣誓をするペンス(2017年1月20日) 厚木海軍飛行場に降り立ったペンス(2017年4月18日) 麻生太郎副総理兼財務大臣(左)と(2017年4月18日) 左からエストニアのケルスティ・カリユライド大統領、ラトビアのライモンツ・ヴェーヨニス大統領、リトアニアのダリア・グリバウスカイテ大統領、ペンス(2017年7月31日) 2017年1月20日にロナルド・レーガンが使用した聖書に手を置いて宣誓を行い、第48代アメリカ合衆国副大統領に就任した。 2017年4月18日、副大統領就任後は初めてとなる来日を果たし、厚木海軍飛行場にエアフォースツーで到着する。日本の副総理兼財務大臣麻生太郎と日米経済対話の初会合に臨んだ他、翌19日にはアメリカ海軍横須賀基地に停泊中の航空母艦ロナルド・レーガンを訪問し、艦上で北朝鮮からの脅威に対抗する決意を演説した。 2018年2月6日から8日にかけて訪日し、安倍首相と会談を行った。同月8日に訪韓し、天安沈没事件の展示館などを訪れた。同月10日に平昌オリンピック開会式に出席するも5分で退席し、歓迎行事にも参加せず、同時期に訪韓していた北朝鮮の金永南を無視した。北朝鮮の金与正と会談する予定も韓国の仲介で秘密裏に組まれていたが、韓国訪問中に招待したオットー・ワームビアの父親や脱北者と面会して追加制裁を表明したペンスに不快感を示して直前でキャンセルしたため金与正ら高官との接触機会は生じなかった。帰国後の同月22日、副大統領はメリーランド州で行った演説の中で、金与正を抑圧的な体制の中心人物として非難している。北朝鮮はこれに猛反発してペンスを「人間のクズ」と罵倒して「我々は米国との対話を哀願しない」と述べた声明を発表した。 2018年5月、トランプ大統領は6月12日に予定していた2018年米朝首脳会談を中止するとの書簡を金正恩党委員長に送り、発表した。大統領は北朝鮮当局者が同国を牽制する発言をしたペンス副大統領を「愚かで無知」と述べたコメントを引用し、怒りと敵意に満ちた中での会談は望ましくないとして中止するとの意向を示した。 2019年9月23日、国際連合総会の開催に合わせて外交が活発化する中、宗教の迫害に関する会合に出席。中国の宗教政策に関して「中国共産党はキリスト教の牧師を拘束し、聖書の販売を禁止し、教会を破壊した」、「イスラム教徒のウイグル族100万人以上を投獄した」として厳しい批判を行った。 2019年10月9日、トルコ軍はシリアとの国境を越えてクルド人居住地域を攻撃を開始した(トルコ軍によるシリア侵攻 (2019年))。トルコはアメリカをはじめとした各国の批判をよそに戦闘を継続する姿勢を見せていたため、トランプ大統領は特使としてペンスをトルコに派遣。10月17日、エルドアン大統領との交渉の中で、クルド人が避難するため時間として5日間の停戦合意を引き出した。 2019年10月、演説の中で中国の権威主義体制、香港において人権と自由を奪う姿勢を批判。さらに日本の尖閣諸島に船を送り込み続けていること指摘し、同盟国である日本に対し挑発的と批判した。さらに11月19日には、米中貿易戦争の終結に向けて協議が進められている対中貿易協定を引き合いに出し、香港のデモに暴力を行使しないよう中国側を牽制する発言を行った。
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