「日本海」ブルートレイン化以降
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「日本海 (列車)」の記事における「「日本海」ブルートレイン化以降」の解説
1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオの改正により、次のように変更。大阪 - 青森間で寝台特急「日本海」の運転を開始。当初は青森運転所(現在の青森車両センター)所属の20系客車が用いられた。運転開始時、当時の寝台列車としては短い9両編成(電源車含む)であったが、翌年10月には13両編成に増強された。 従来の急行「日本海」は「きたぐに」に改称。 1969年(昭和44年)12月6日:「日本海」が、北陸トンネル内で列車火災事故(寝台特急日本海北陸トンネル列車火災事故)が発生。当時の規則では「火災が発生した場合は速やかに停車させなければならない」と規定されており、これに従えばトンネル内でただちに停車すべきところを、機関士が「トンネルを走り抜けてから消火した方が良い」と機転を利かせてトンネルから脱出して消火し、鎮火させたため死傷者は皆無であった。当時の国鉄は規則を無視した点を指摘して機関士を処分した。その3年後に「きたぐに」で同様の火災事故が発生し、30名の死者を出す惨事となった。「きたぐに」の事故後、規則に捉われずトンネルを脱出した「日本海」の機関士の判断が正しかったことが国鉄の実験で証明され、当該機関士への処分は撤回され、国鉄の規則も改正された。これにより、14系寝台客車も自動消火装置が設置されるまでは製造中止。集中電源方式の24系客車が製造となる。 1971年(昭和46年):名古屋 - 秋田間で臨時急行「あきた」の運転を開始。 1973年(昭和48年):東北新幹線・上越新幹線建設に伴い、臨時急行「あおもり」を日本海縦貫線経由に変更。 1975年(昭和50年)3月10日:湖西線開業によるダイヤ改正により、次のように変更(1975年3月10日国鉄ダイヤ改正)。「日本海」を湖西線経由に変更。車両は14系寝台客車(早岐客貨車区)に変更され、食堂車の連結を廃止。 宮原客車区(現在の網干総合車両所宮原支所)の14系座席車が使用された季節列車として、大阪 - 青森間で「日本海」1往復の運転を開始。「日本海」は2往復になる。 国鉄業務合理化の一環として「日本海」牽引機関車へのヘッドマーク掲出を取りやめ。 1976年(昭和51年)3月15日:季節列車の「日本海1・2号」の使用車両を宮原客車区の24系25形客車に変更。 1978年(昭和53年)10月2日:季節列車の「日本海」を定期列車に変更。24系客車(2・3号。青森運転所)・24系25形客車(1・4号。宮原客車区)各1往復に変更し、早岐客貨車区所属の14系客車の運用を終了。同時に下り2号を3号、上り1号を2号、上り2号を4号に変更。 1980年(昭和55年)10月1日:「あけぼの」2往復の24系化により、「日本海3・2号」の青森運転所オロネ24が抜き取られ、B寝台車のモノクラス化する。 1982年(昭和57年)11月15日:上越新幹線開業に伴うダイヤ改正により、以下のように変更。「日本海」のA寝台車の連結を廃止。 「日本海」の使用車両を24系客車・24系25形客車各1往復から、24系25形客車2往復(2往復とも宮原客車区)に変更。 同じ区間を走る急行列車「きたぐに」が大阪 - 新潟間の運転に変更されたため、大阪 - 青森間を運転する唯一の夜行列車になる。 1984年(昭和59年)2月1日:「日本海」2・3号が青森運転所の24系25形客車に再変更。 1985年(昭和60年)3月14日:「日本海」牽引機関車へのヘッドマーク掲出を再開。 1986年(昭和61年)月日不明:名古屋 - 青森間の臨時急行「あおもり」が廃止された。 11月1日:速達化、効率化に伴うダイヤ改正により秋田 - 青森間のED75形使用を廃止。これにより、大阪 ‐ 青森間をEF81形が通しで牽引することになる。 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、「日本海」1・2号をJR西日本が、「日本海」3・4号をJR東日本がそれぞれ客車の管轄をする共同運行列車となる。
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