NNNきょうの出来事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 20:17 UTC 版)
概要
日本初の民間放送テレビ局として開局してからまだ1年余りしか経っていなかった日本テレビで、一日のニュースを振り返る番組として1954年10月4日に放送開始された。当初は月曜日から金曜日で、1958年4月5日の土曜・日曜版スタート以降は月曜日から日曜日の放送となる。出演当時日本テレビのアナウンサーだった小林完吾や、女性アンカーパーソンの先駆けとなったジャーナリストの櫻井よしこなどがキャスターを務めたことでも知られる。
終了時点における本番組はNNN加盟30局がネットする唯一の番組となっており、佐賀県と沖縄県を除く45都道府県[注 5] で放送されていた。
スポンサーは月曜から金曜まで南海放送(1995年3月31日まで)・テレビ宮崎を除く28局はスポンサードネット(全国ニュースのみ)になっていた。1999年10月から2004年9月までの金曜日および1999年10月から2006年9月の終了までの週末は、オールスポット扱いとなっていたため、全ネット局にスポンサーがなかった。土曜・日曜は1999年9月まで一部地域(山梨放送・福井放送・四国放送・高知放送・テレビ宮崎など、日本テレビ系単独ネットになる以前の青森放送・秋田放送・山形放送・日本海テレビ・山口放送・南海放送など)でスポンサーが差し替えられていた。その一方で『NNN日曜夕刊』のスポンサーを差し替えていた北日本放送、クロスネットのテレビ大分、クロスネット時代のテレビ信州・鹿児島テレビでは日本テレビなどと同じスポンサーで放送していた。ただし鹿児島テレビ・鹿児島読売テレビは鹿児島県に店舗がなかったイオングループ(ジャスコグループ)に関してはスポンサーを差し替えていた。南海放送がスポンサーを差し替えていた理由は、スポンサーに愛媛県のお菓子「母恵夢」があったためである。週末は1999年10月までスポンサーが3社だったが、月曜日から金曜日(土曜日の場合は火曜日・木曜日)のスポンサーが含まれていた。
音声多重放送が始まった1978年頃から2か国語放送が実施された。これは、同じく日本テレビの各報道番組でも実施され、1993年5月31日まで続いた。6月1日以降は各番組共にモノラル放送を実施している。また、最末期の半年間にあたる2006年4月から9月の終了までの月曜日から金曜日は、リアルタイム字幕放送を実施していた。
最終回の2006年9月29日放送分は放送時間を15分拡大した(後述)。
注釈
- ^ 2006年4月3日から放送終了まで、月-金曜に実施。
- ^ 1978年頃から1993年5月31日まで実施。それ以外の期間はモノラル放送(モノステレオ放送)。
- ^ 主に番組の公式ウェブサイト(現在は閉鎖)のアドレス(「www.ntv.co.jp/kyodeki/」)で使用された。1990年4月1日から9月30日までCM前には「Kyo Deki」と表示されていた(週末のスポンサー差し替えの地域は10月以降もスポンサーがない場合、スポーツコーナーの前に表示されていた)。
- ^ NNN(日本テレビ系列)の報道番組では、2022年4月に青森放送(RAB)の『RABニュースレーダー』が当番組の放送年数を超えるまで最長であった。
- ^ 佐賀県は大部分の地域で隣県の福岡県の福岡放送、長崎県の長崎国際テレビ、熊本県のくまもと県民テレビのいずれかが受信可能であったので実質的には佐賀県内でも視聴することができた。沖縄県に関してもCS☆日テレでサイマル放送されていた時期は視聴できていた。
- ^ しかし後に再びストレートニュース方式に戻されている。
- ^ いずれも作曲は後藤次利。なお、フラッシュニュースで特集を紹介するBGMは、後藤のソロアルバム『CITY TRICKLES -街の雫-』から「URGENT:追い込まれた色彩」が使用されていた。
- ^ 1994年4月から2002年3月迄は、月曜日から木曜日は約1分弱ニュースを伝えた後ローカル天気を放送して番組終了、金曜日は全国の天気予報とローカル天気を放送した後最後にニュースを1本伝えてから番組終了の形を取っていた。又、天気予報のBGMは月曜日から木曜日は当時のエンディングテーマ、金曜日のみオリジナルBGMが流れていた。尚、よみうりテレビ等一部系列は金曜日の全国の天気予報もネットせず、ローカル枠は全てローカルニュースや天気予報を放送した後、そのまま番組終了していた。
- ^ 1994年以前は番組の最後に全国の明日の天気予報を放送し、予報だけ表示して番組終了していた。
- ^ 新聞のラ・テ欄では旧字体の「櫻」を表記することができないため、新字体の「桜」で表記された。なお、現在の「NEWS ZERO」の月曜日も同様の措置をとっている。(→番組表#番組表の表記法を参照)
- ^ 金曜日・土曜日・日曜日版のメインを担当していた期間も含めると13年半にわたり番組を担当したことになる。
- ^ 土曜日・日曜日は『Going! Sports&News』と、その代替番組である『NNNスポーツ&ニュース』が後継番組になる。
- ^ 福島テレビは開局当初から報道以外はオープンネット(当時福島県の民放テレビ局は福島テレビ1社だけだった)だったが、報道に関してはNNNに加盟していた。NNN脱退後は1983年3月31日までJNNに加盟し、報道に関してはJNN協定が適用されるため他系列のニュースをネット受けできないことになり、本来であれば『JNNニュースデスク』をネットすべきところだったが、JNNニュースデスクも放送せずFTVニュースを放送した。なお、福島テレビは1983年4月1日以降、FNNに加盟し、フジテレビ系列フルネット局に移行した。
出典
- ^ 朝日新聞夕刊、1980年4月1日付、6面
- ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(′88年9月)」『月刊民放』第18巻第12号、日本民間放送連盟、1988年12月1日、48 - 49頁、NDLJP:3471036/25。
- ^ ただし、1977年7月2日から1979年3月31日までは、『土曜ワイド劇場』が90分番組だったため、該当期間は、日本テレビと同時ネットだった(1977年7月2日と1979年3月31日両日の東奥日報青森放送テレビ欄より)。
- ^ 『週刊TVガイド』四国・岡山版1986年1月18日 - 1月24日号より。
- ^ 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月28日、373 - 374頁。NDLJP:11954641/203。
- ^ 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月28日、137頁。NDLJP:11954641/81。
固有名詞の分類
- NNNきょうの出来事のページへのリンク