1582年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 09:53 UTC 版)
誕生
死去
- 3月25日(天正10年3月2日) - 仁科盛信、武将、武田信玄の五男(* 1557年)
- 4月3日(天正10年3月11日) - 武田勝頼、甲斐の武将・戦国大名、武田信玄の子(* 1546年)
- 4月3日(天正10年3月11日) - 武田信勝、武田勝頼の嫡男(* 1567年)
- 4月3日(天正10年3月11日) - 土屋昌恒、武田氏の家臣(* 1556年)
- 4月16日(天正10年3月24日) - 小山田信茂、武田氏の家臣(* 1539年)
- 4月25日(天正10年4月3日) - 快川紹喜、臨済宗の僧(生年不詳)
- 6月21日(天正10年6月2日) - 織田信長[要出典]、織田政権を率いた戦国大名(* 1534年)
- 6月21日(天正10年6月2日) - 織田信忠、織田信長の嫡男(* 1557年)
- 6月21日(天正10年6月2日) - 森蘭丸、織田信長の家臣(* 1565年)
- 6月21日(天正10年6月2日) - 穴山信君、織田信長の家臣(* 1541年)
- 6月23日(天正10年6月4日) - 清水宗治、備中国高松城主(* 1537年)
- 6月24日(天正10年6月5日) - 津田信澄、織田信勝の子(* 1555年)
- 7月2日(天正10年6月13日) - 明智光秀、戦国武将(* 1528年)
- 7月4日(天正10年6月15日) - 明智秀満、明智光秀の重臣(* 1537年)
- 7月6日(天正10年6月17日) - 斎藤利三、明智光秀の家老(* 1534年)
- 12月28日(天正10年12月4日) - 土岐頼芸、美濃の守護大名(* 1502年)
脚注
出典
- ^ クリスチャンソン 2018, p. 58「グレゴリウス暦(インテル・グラウィッシマス)」
- ^ “見たか家康 徹底解説3 運命の天正十年 – 博物館日記” (2023年6月2日). 2024年5月11日閲覧。
- ^ “天正十年の天変1”. 京都千年天文街道. 2024年5月11日閲覧。
- ^ “EclipseWise - Total Solar Eclipse of 1582 Jun 20”. eclipsewise.com. 2024年5月11日閲覧。
注釈
- ^ ユリウス暦は、グレゴリオ暦に比べて精度が悪く、ユリウス暦1582年10月4日の時点で、実際の季節に対して10日ほど遅れていた。そのため、グレゴリオ暦への改暦は、10月5日から10月14日の10日間を省くことで行われた。
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