高麗青磁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/03 01:47 UTC 版)
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日韓併合後、朝鮮の陶芸産業は、廉価な日本製陶磁器が大量に流入したことで、流通網を外れた僻地の窯業以外は壊滅するに至った。
高麗青磁は日本人技術者により再現技法が成立し、李王職美術品製作所陶磁部や総督府工業伝習所(京城工業専門学校)陶器課で複製品が作成されるようになった。
鎮南浦在住の実業家冨田儀作は私費で朝鮮美術工芸館を設立した後、籠細工・螺鈿細工など各種朝鮮美術工芸の復興を企業した[14][15]。八代焼陶工の濱田義徳・美勝兄弟を招聘して三和高麗焼を創設し、昭和天皇即位の礼において朝鮮総督山梨半造よりの献上品に選定された[16]。また、朝鮮旅行土産の小品として漢陽高麗焼を大量生産した。
朝鮮において陶工は20世紀前半においても賤業視されていたが、浅川伯教・巧兄弟の薫陶を受けた陶芸家柳海剛、池順鐸らが大韓民国成立後に古陶片の研究で更なる研鑽を積み、高麗青磁の製造技術を確立させ、現在も韓国の陶芸家により製作されている。
2006年、韓国国立民俗博物館の中国語の案内ガイドが高麗青磁について「誤った」案内をおこない、「誤った」韓国情報を伝えていることが分かった[17]。案内ガイドは「高麗青磁は中国の唐三彩を真似たもの」「新羅の慶州は中国の西安をそのまま移しておいたもの」「韓国は昔から中国の属国」「三国時代の衣服・金属活字が中国とそっくり」「博物館に展示された遺物は真物ではなく、真物は全て日本にある」などと説明していた[17]。
参考文献
- 馮雷著龍楊志訳註『陶鑑』、2009年
- 『週刊朝日百科 世界の美術』102(高麗・李朝の美術)、朝日新聞社、1980年、11-35
- 姜敬淑(山田貞夫訳)『韓国のやきもの』、淡交社、2010年
- 鄭銀珍『韓国陶磁史の誕生と古陶磁ブーム』思文閣出版、2020年
外部リンク
- ^ 龍、2009、p82
- ^ a b 姜2010P83
- ^ (龍、2009)p82
- ^ 『格古要論』
- ^ 姜2010P10,12,81,83
- ^ 龍、2009、52-57_82-83頁
- ^ 姜2010P10,69,83
- ^ 姜2010P83-87
- ^ 姜2010P87- 88
- ^ 『宣和奉使高麗図経』巻32
- ^ 姜2010P74,91,95
- ^ a b 吉田1980P11-35
- ^ 姜2010P75,78,102
- ^ 『人事興信録』データベース第8版(昭和3年)『富田儀作』
- ^ 兵庫県猪名川町公式サイト いながわ歴史ウォーク第156話「冨田熊作の叔父冨田儀作」
- ^ 宮内庁三の丸尚蔵館公式サイト 収蔵品『三和高麗焼青磁鳳凰芍薬文花瓶』
- ^ a b “「韓国は中国の属国」…中国語ガイドの韓国史わい曲が深刻”. 中央日報. (2006年7月19日). オリジナルの2007年5月26日時点におけるアーカイブ。
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