観心寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 10:15 UTC 版)
境内
- 金堂(国宝)
- 南北朝時代、正平年間(1346年 - 1370年)の建立。桁行七間、梁間七間、入母屋造、本瓦葺き。和様と禅宗様の要素が混淆した折衷様仏堂の代表例である。朱塗の柱に白い漆喰壁の外観は和様の要素であるが、扉は禅宗様の桟唐戸を用いる。堂正面は七間のうち中央五間を桟唐戸、両端の各一間を和様の連子窓とする。和様では頭貫(かしらぬき)以外の貫(柱を貫通する水平材)を用いず、長押(柱の外側から打ち付ける水平材)を多用するが、この堂では頭貫以外に飛貫(ひぬき)、足固貫を用いている。堂内は手前二間通りを外陣とする。その奥は中央の五間×四間を内陣、その両脇一間通りを脇陣、背後の梁間一間分を後陣とする。内陣はその奥の三間×一間を内々陣として須弥壇(しゅみだん)を構え、厨子内に本尊如意輪観音像を安置する。須弥壇の手前左右には曼荼羅壁を設け、それぞれに両界曼荼羅を描く[2]。
- 建掛塔(重要文化財) - 文亀2年(1502年)再建。もともとあった堂は楠木正成が三重塔を建立しようと建築に着工したところ討死してしまい、一重目を造り終えたところで工事が中止され、仏堂に改築されたもの。焼失後、同じような形式で再建された。
- 鐘堂
- 訶梨帝母天堂(鎮守堂、重要文化財) - 天文18年(1549年)再建。
- 鎮守堂拝殿(大阪府指定有形文化財) - 延享元年(1744年)再建。
- 牛滝堂
- 霊宝館
- 恩賜講堂(重要文化財) - 1930年(昭和5年)移築・改造。昭和天皇即位大典のために京都御苑内に建てられた大饗宴場の一部を移築・改造したもの。
- 弘法大師礼拝石
- 星塚 - 七つある。北斗七星如意輪曼荼羅となっている。
- 宝蔵
- 弁天堂
- 阿弥陀堂
- 御影堂(大師堂、大阪府指定有形文化財) - 江戸時代中期再建。
- 行者堂
- 開山堂(本願堂、大阪府指定有形文化財) - 正保3年(1646年)再建。
- 道興大師御廟
- 楠木正成首塚
- 後村上天皇桧尾陵
- 阿野廉子(新待賢門院)の墓 - コウボ坂陵墓参考地。
- 後村上天皇御旧跡 - 旧惣持院跡。
- 中院 - 塔頭。楠公学問所。幼少期の楠木正成が龍覚を師としてここで仏道修行をしたという。
- 本坊 - 旧槙本院。
- 山門(大門、大阪府指定有形文化財) - 万治2年(1659年)再建。
- 楠木正成像
- ^ “大阪みどりの百選”. 大阪府. 2016年12月23日閲覧。
- ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』36号、pp.178 - 179(解説執筆は林義久)
- ^ 如意輪観音像の解説は、倉田文作『仏像のみかた 技法と表現』、第一法規出版、1965、pp.134 – 139, 288 – 289, 304 - 310による。ただし、どの手を「第一手」「第二手」「第三手」とするかについては、西村 公朝、永島 龍弘、西川 杏太郎 『魅惑の仏像 15 如意輪観音』、毎日新聞社、1987、pp.34, 42によった。
- ^ 平成29年7月31日文部科学省告示第101号
- ^ 重要文化財(建造物)の指定について(2017年5月19日)
- ^ 文化庁ホームページ
- ^ 2019年の官報告示で重要文化財の指定名称が変更され、「延元三年、仏師康円作」の但書きが付された(令和元年7月23日文部科学省告示第32号)。この「康円」は、年代からみて運慶の孫の康円とは別人とみられるが、文化庁からくわしい発表がないため詳細は未詳。
- ^ 四天王像の正式の重要文化財指定名称は「木造持国天立像1躯」(1899年指定)、「木造増長天・広目天立像2躯」(1915年指定)、「木造多聞天立像1躯」(1899年指定)
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