穢れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/03 05:30 UTC 版)
一般の穢れ観念
手や体を水で洗うことは目に見える汚れを落とすと同時に「穢れを祓う」ことでもあると考えられている。近・現代の自然科学的な説明体系では手や体を水で洗うことは「病原体を洗い流すために洗う」などと説明するが、そうした説明体系・観念体系とは異なった言葉の体系となっている。
穢れ観念は現代でも禊、灌頂や洗礼を始め様々な宗教儀式に名残を留めている。
穢れているとされる対象としては、死・病気・出産・性交・女性・怪我・排泄、ならびにこれらに関するものが代表的である。 穢れとされている性交・出産によって、女性の股から産血に塗れて産まれてくる男性は、生まれながらにして穢れた不浄の生き物となり、男性は生まれながらにして罪人であるという他教の原罪にも通ずる。
自らの共同体以外の人(他県人・外国人・異民族)やその文化、特定の血筋または身分の人(不可触賎民など)、特定の職業(芸能、金融業、精肉業等)、体の一部(左手を食事に使ってはならない等)なども穢れとされることがある。これらは必ずしも絶対的な穢れというわけではなく、行為などによって異なることが多い(例えば、ある動物に触れるのは構わないが食べてはいけない、など)。
穢れの観念は民間信仰はもとより、多数の有力宗教にも見られる。ユダヤ教では古くから様々な穢れの観念が事細かに規定され、これは食タブーなどに関してイスラム教にも影響を与え、現代でも多くの人々の生活様式に影響を残している。バラモン教の穢れ観念は現代のヒンドゥー教に受け継がれ、また仏教にも影響を残した。月経や女性を穢れとするのは古代インドの思想とその影響を受けた仏教由来のものである。
「穢れ」に対立する概念は「清浄」または「神聖」であるが、穢れと神聖はどちらもタブーとして遠ざけられる対象であり、タブーであることだけが強調されて、必ずしも厳密に区別できないこともある。例えばユダヤ教では動物の血は食に関する限り「不浄な生き物」と同様に忌まれるものであるが、これはユダヤ教において「血は命であるから食べてはならない」(申命記)と説明される神聖なものであることに起因するものであり、決して穢れたものであるからではない。
類似語でユダヤ教/キリスト教では罪という言葉で聖書に表されているが、『アダムの犯した罪』が人の原罪である。詳しくは原罪を参照。
- ^ 三省堂「大辞林」より
- ^ 上島享「〈王〉の死と葬送」(『日本中世社会の形成と王権』(名古屋大学出版会、2010年) ISBN 978-4-8158-0635-4 (原論文発表は2007年))。
- ^ 原田信男 (1993). 歴史の中の米と肉 食物と天皇・差別. 平凡社. p. 102-103. ISBN 4-582-84147-3
- ^ 山本幸司 (2009). 穢れと大祓 増補版. 解放出版社. p. 16. ISBN 978-4-7592-5253-8
- ^ 尾留川 方孝 (2009). “平安時代における穢れ観念の変容--神祇祭祀からの分離”. 日本思想史学 41 .
- ^ 延喜式. 第1 日本古典全集刊行会 p.106 (国立国会図書館)
- ^ 渡邉俊「『春日清祓記』の基礎的考察」『中世社会の刑罰と法観念』(吉川弘文館、2011年) ISBN 978-4-642-02899-8 (原論文発表は2010年)
- ^ 上田正昭その他 『日本の神々』 学生社 2003年 ISBN 978-4479840633 pp.77 - 78.
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