矛盾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 03:59 UTC 版)
- 伝統的論理学で、二つの概念または命題が一定の事象を同一の観点から同時に、一方が肯定し他方が否定する場合の両者の関係。
- 命題論理学で、複合命題からなる論理式の各要素命題にいかなる真理値を与えても必ず偽となる式。
ドイツの哲学者ヘーゲルは自身の「弁証法」理論で、物事が発展する原動力として矛盾を重視した[1]。
故事「矛と盾」
『韓非子』難一篇に出てくる故事。「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた楚の男が、客から「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問われ、返答できなかったという話から。もし矛が盾を突き通すならば、「どんな矛も防ぐ盾」は誤り。もし突き通せなければ「どんな盾も突き通す矛」は誤り。したがって、どちらを肯定しても男の説明は辻褄が合わない[2]。
楚人有鬻楯與矛者 譽之曰 吾楯之堅 莫能陷也 又譽其矛曰 吾矛之利 於物無不陷也 或曰 以子之矛 陷子之楯 何如 其人弗能應也[2] — 『韓非子』難編(一)
楚人に盾と矛とを鬻 ぐ者有り。之 を誉 めて曰 はく、「吾 が盾の堅きこと、能 く陥 すなきなり。」と。又 、其 の矛を誉めて曰はく、「吾 が矛の利 なること、物に於 いて陥さざる無 きなり。」と。或 ひと曰はく、「子の矛を以て、子の盾を陥さば何如 。」と。其 の人応ふること能 はざるなり。[2]
楚の国の人で盾と矛を売る者がいた。この人はこれを誉めて「私の盾は頑丈で、貫くことのできるものはない」と言った。また、矛を誉めて「私の矛は鋭くて、どんなものでも突き通すことができる」と言った。ある人が「あなたの矛でその盾を突き通したらどうなるのですか」といった。商人は答えることができなかった[2]。
儒家批判における矛盾
「矛盾」は、韓非が『韓非子』の中で儒家(孔子と孟子がその代表、ここでは孔子)批判のためのたとえ話の中で、「矛盾」という言葉を使ったもの。儒家は伝説の時代の聖王の「堯」と「舜」の政治を最高で理想だとし、舜が悪きを改め、良い立派な行いをして人々を助けたから堯は舜に禅譲したとした。しかし、韓非によれば、堯が名君で民を良く治めていたとすれば、舜が悪きを改め、良い立派な行いをして人々を助けるということはそもそも起こりえない。一方が立派な人物だとすれば他方はそうではなくなってしまう。したがって、両方の者が同じく最高の人物で、理想的な政治を行ったというのは話が合わず、あり得ないという意味を込めて批判的に矛盾の喩え話をした[3]。いわば、この話には、韓非が儒家(徳治主義)の思想を批判し、自説の法家(法治主義)の思想の正当性を主張しようという意図があったのである。
訳語
英語の contradiction や ドイツ語の Kontradiktionを「矛盾」と訳すのは、明治時代の井上哲次郎等著『哲学字彙』に由来する[4][注 1]。ただし、「矛盾」という語彙はそれ以前から日本語にあった[6]。翻訳語としての「矛盾」は中国語に逆輸入された[4]。
英語の contradiction の語源は、ラテン語の contrādictiō ないし contrādīcō であり「反論」を意味した。英語の contradict は「矛盾する」のほか「~に反駁する(他動詞)」「反対の意見を述べる・反駁する(自動詞)」の意味も持つ[7][8]。
注釈
- ^ 1900年代の中国の翻訳家・厳復は「相滅」と訳している[5]。
- ^ ニュートンが近代科学の力学を造りあげることができたのは、「力と運動の矛盾(力によって運動が生じ、運動によって力が克服される過程)」を乗り越えるために、微分と積分法を自ら作りだすことに成功したからである[11]。
- ^ 実際、共産主義政権のもとで誕生したソビエト連邦(現:ロシア)は政府や経済の活動が停滞し、政府の厳しい管理体制下で生じた経済の失敗で崩壊した[20]。
- ^ たとえば、天動説に対してコペルニクスが地動説を提唱したとき、新しいデータは何も関与していなかった。一般の常識としてはコペルニクスは子供じみた天動説を批判し、観測に基づく実証的な地動説を提唱したのだということになっている。しかしコペルニクスが新しい観測事実を持っていたわけではないし、当時の天動説は観測データに基づいた十分に実証的な理論だった。コペルニクスは当時の天動説に深刻な矛盾を見たのである。例えばコペルニクスは「天動説は地球が動くと破壊されることを心配したが、なぜ同じことを地球よりはるかに大きく速く「回転する天」に心配しないのか」と指摘した。また、天動説の計算は確かに「惑星が地球から見える方向」はそれなりの予想精度を持って示すことができる。しかし、それを「惑星の明るさの変化」にも当てはめようとすると矛盾が生じる。コペルニクスは天動説では惑星の見える方向と、その惑星の明るさの変化(彼はそれを惑星の地球からの距離の変化と見た)は両立できないことを、深刻な矛盾と見た[24]。
- ^ 板倉は自身の「理論の交代における矛盾の役割」の研究結果から、「理論選択の基準はその単純性にある」とする「マッハ主義」(エルンスト・マッハに始まる実証主義的認識論の立場をいう。物質や精神を実体とする考えに強く反対し、科学の目的は観察された事実を記述することのみにあるとし、仮想的原子などを考えることは全く非科学的であると主張した。)を批判した[28]。また、基本理論の交代が理論外の新事実の発見や他の理論の影響で引き起こされるという「機械論」も科学史の現実に合わないとした[29]。さらに、理論は事実に合わせて変化するという「実証主義」を、「天動説は事実に合わせるという点では十分実証的だった。コペルニクス説がこの点で優れていたわけではない」として否定した[29]。また、プトレマイオスとコペルニクスは座標変換に過ぎず、「どっちもどっち」というような「相対主義」は旧理論の内部矛盾に着目することによって乗り越えることができると主張した[30]。
出典
- ^ a b goo辞書.
- ^ a b c d Wikibooks 2022.
- ^ 金谷治訳注『韓非子』, 「難一」, pp. 254–256
- ^ a b 朱京偉 2002, pp. 107–110.
- ^ 加地伸行 1983, p. 346.
- ^ 朱京偉 2005, p. 79.
- ^ 村主朋英 2012, p. 68.
- ^ 研究社「新英和中辞典」contradict[1]
- ^ P+D MAGAZINE 2018.
- ^ 三浦つとむ 1968, p. 274.
- ^ 板倉聖宣 1957, p. 156.
- ^ a b 三浦つとむ 1968, pp. 274–275.
- ^ 板倉聖宣 2004, p. 78.
- ^ a b 板倉聖宣 2004, p. 80.
- ^ 毛沢東 1957.
- ^ 三浦つとむ 1968, pp. 282–283.
- ^ 板倉聖宣 2004, p. 81.
- ^ a b 板倉聖宣 2004, p. 83.
- ^ 三浦つとむ 1968, p. 283.
- ^ 世界雑学ノート 2018.
- ^ 板倉聖宣 1955.
- ^ 唐木田 1995, p. 24.
- ^ 唐木田 1995, p. 15.
- ^ a b 唐木田 1995, pp. 24–29.
- ^ 武谷三男 1936, pp. 41–44.
- ^ トマス・クーン 1971, p. 102.
- ^ 唐木田 1995, pp. 10–11.
- ^ 唐木田 1995, p. 36.
- ^ a b 唐木田 1995, p. 37.
- ^ 唐木田 1995, p. 38.
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