矛盾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 03:59 UTC 版)
論理学における矛盾
まず命題論理における矛盾の定義を述べる:命題Pに対して、「Pかつ¬P」を矛盾という。
矛盾を利用した論法に背理法がある。この論法では、「Xである」を示す場合に、まず「Xでない」という架空の設定を考える。そして「Xでない」という架空の設定のもと論理を進め、何らかの矛盾を導く。矛盾が起こったのだからそれは「絶対にありえない事」だという事になるので、最初の「Xでない」がおかしかったのだという事になり、結論として「Xである」を得るのである。
(数学的な意味での)矛盾の興味深い性質として、矛盾を含む体系においてはどんな命題を導くこともできる、というものがある(爆発律 principle of explosion, ECQ)。背理法は、
- 命題¬φを仮定して矛盾が導けたら命題φを推論できる
と定式化できる。考えている体系において何らかの矛盾が成立していたとすると、形式的な仮定「¬B」をおいても(これは全く使わずに)矛盾を導けるということになる。従ってBの二重否定¬¬Bが推論できることになり、二重否定は無視できる(排中律)ことから結局Bが推論できたことになる。ただし、古典論理ではない直観論理などでは排中律や背理法は成立しない。
弁証法における矛盾
ドイツ観念論の哲学者ヘーゲルは、弁証法を定式化し、「一つの事物・命題には必ずそれ自身の否定が含まれる」ということを指摘した[9]。矛盾の重要性を最初に指摘したのはヘーゲルである[10]。 ヘーゲルは、
- ある物が運動するのは、それが今ここにあり、他の瞬間にはあそこにあるためばかりでなく、同一の瞬間にここにあるともここになく、同じ場所に存在するとともに、存在しないためでもある。運動は存在する矛盾そのものである、ということになるのだ[注 2]。
とした。マルクス学派はこの考えを受け継ぎ、レーニンは「弁証法とは物の本質そのものにおける矛盾の研究である」と述べた[12]。
エンゲルスは、
- 何かある事物が対立を背負っているとすれば、それは自己自身と矛盾しているわけで、そのものの思想的表現も同様である。たとえばある事物が、あくまでも同一でありながら、しかも同時に不断に変化していることと、それ自身に「持続」と「変化」との対立をもっていることは一つの矛盾である。
として、「生物は一つの矛盾だ」と主張した[12]。
矛盾と人間の認識
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科学史家で科学教育家である板倉聖宣は矛盾は「人間が矛盾が起こるように考えるから矛盾がある」のであって、「動いているものを静止の論理でとらえようとする」「変化しているものを静止させて考える」人間の思考に原因がある、とした[13]。矛盾は人間が認識したもので、「矛盾でとらえざるを得ないものがある」のであって、「矛盾そのものが存在するのではない」「我々がそこに矛盾を認めるということは、それが運動しているか変化している」と考えた[14]。従って板倉は、「矛盾としてとらえたものは変化発展しているのだから、「矛盾は発展の原動力だ」というのは当然だ」としている[14]。
注釈
- ^ 1900年代の中国の翻訳家・厳復は「相滅」と訳している[5]。
- ^ ニュートンが近代科学の力学を造りあげることができたのは、「力と運動の矛盾(力によって運動が生じ、運動によって力が克服される過程)」を乗り越えるために、微分と積分法を自ら作りだすことに成功したからである[11]。
- ^ 実際、共産主義政権のもとで誕生したソビエト連邦(現:ロシア)は政府や経済の活動が停滞し、政府の厳しい管理体制下で生じた経済の失敗で崩壊した[20]。
- ^ たとえば、天動説に対してコペルニクスが地動説を提唱したとき、新しいデータは何も関与していなかった。一般の常識としてはコペルニクスは子供じみた天動説を批判し、観測に基づく実証的な地動説を提唱したのだということになっている。しかしコペルニクスが新しい観測事実を持っていたわけではないし、当時の天動説は観測データに基づいた十分に実証的な理論だった。コペルニクスは当時の天動説に深刻な矛盾を見たのである。例えばコペルニクスは「天動説は地球が動くと破壊されることを心配したが、なぜ同じことを地球よりはるかに大きく速く「回転する天」に心配しないのか」と指摘した。また、天動説の計算は確かに「惑星が地球から見える方向」はそれなりの予想精度を持って示すことができる。しかし、それを「惑星の明るさの変化」にも当てはめようとすると矛盾が生じる。コペルニクスは天動説では惑星の見える方向と、その惑星の明るさの変化(彼はそれを惑星の地球からの距離の変化と見た)は両立できないことを、深刻な矛盾と見た[24]。
- ^ 板倉は自身の「理論の交代における矛盾の役割」の研究結果から、「理論選択の基準はその単純性にある」とする「マッハ主義」(エルンスト・マッハに始まる実証主義的認識論の立場をいう。物質や精神を実体とする考えに強く反対し、科学の目的は観察された事実を記述することのみにあるとし、仮想的原子などを考えることは全く非科学的であると主張した。)を批判した[28]。また、基本理論の交代が理論外の新事実の発見や他の理論の影響で引き起こされるという「機械論」も科学史の現実に合わないとした[29]。さらに、理論は事実に合わせて変化するという「実証主義」を、「天動説は事実に合わせるという点では十分実証的だった。コペルニクス説がこの点で優れていたわけではない」として否定した[29]。また、プトレマイオスとコペルニクスは座標変換に過ぎず、「どっちもどっち」というような「相対主義」は旧理論の内部矛盾に着目することによって乗り越えることができると主張した[30]。
出典
- ^ a b goo辞書.
- ^ a b c d Wikibooks 2022.
- ^ 金谷治訳注『韓非子』, 「難一」, pp. 254–256
- ^ a b 朱京偉 2002, pp. 107–110.
- ^ 加地伸行 1983, p. 346.
- ^ 朱京偉 2005, p. 79.
- ^ 村主朋英 2012, p. 68.
- ^ 研究社「新英和中辞典」contradict[1]
- ^ P+D MAGAZINE 2018.
- ^ 三浦つとむ 1968, p. 274.
- ^ 板倉聖宣 1957, p. 156.
- ^ a b 三浦つとむ 1968, pp. 274–275.
- ^ 板倉聖宣 2004, p. 78.
- ^ a b 板倉聖宣 2004, p. 80.
- ^ 毛沢東 1957.
- ^ 三浦つとむ 1968, pp. 282–283.
- ^ 板倉聖宣 2004, p. 81.
- ^ a b 板倉聖宣 2004, p. 83.
- ^ 三浦つとむ 1968, p. 283.
- ^ 世界雑学ノート 2018.
- ^ 板倉聖宣 1955.
- ^ 唐木田 1995, p. 24.
- ^ 唐木田 1995, p. 15.
- ^ a b 唐木田 1995, pp. 24–29.
- ^ 武谷三男 1936, pp. 41–44.
- ^ トマス・クーン 1971, p. 102.
- ^ 唐木田 1995, pp. 10–11.
- ^ 唐木田 1995, p. 36.
- ^ a b 唐木田 1995, p. 37.
- ^ 唐木田 1995, p. 38.
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