湊部屋 湊部屋の概要

湊部屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 02:55 UTC 版)

湊部屋の外観
湊部屋

歴史

1981年5月場所に現役を引退して時津風部屋の部屋付き親方となっていた年寄・22代(元小結豊山)が、1982年12月に内弟子2人を連れて時津風部屋から分家独立する形で部屋を創設した。戦後初となる埼玉県に創設された相撲部屋である。部屋内に図書室を設置したことが話題となった。22代は幕内力士として湊富士を育て上げ、他にも大湊ら幕下力士を擁したが、いずれも怪我で低迷するなどして関取昇進を果たせず、師匠を務めた時期に育てた関取は湊富士だけであった。

それまで部屋の唯一の関取だった湊富士は2002年9月場所で現役を引退し、年寄・16代立田川を襲名して部屋付き親方となった後、2010年7月27日に22代と年寄名跡を交換する形で23代湊を襲名して部屋を継承した。翌28日に仲の国の新十両昇進が決定し、史上2人目となる関取が誕生した。2014年5月場所において逸ノ城が新十両へ昇進し、23代の直弟子としては初となる関取が誕生している。その逸ノ城は同年11月場所において新関脇に昇進し、部屋史上初の三役力士となり、2022年7月場所では部屋所属力士初の幕内最高優勝を果たした。

2017年12月18日付で、これまで所属していた時津風一門錣山部屋とともに離脱し、どこの一門にも属しない無所属となった[1][2]

その後、2018年7月に相撲協会が「部屋は必ず一門に属さねばならない」との決定をしたため、2018年9月21日に旧貴乃花一門阿武松部屋大嶽部屋千賀ノ浦部屋、同じく無所属であった錣山部屋とともに二所ノ関一門に加入する事となった。

所在地

師匠

  • 22代:湊広光(みなと ひろみつ、小結・豊山、新潟)1982年12月-2010年7月
  • 23代:湊孝行(みなと たかゆき、前2・湊富士、群馬)2010年7月-

力士

幕内

関脇

前頭

十両

外部リンク

座標: 北緯35度49分46.2秒 東経139度42分10.6秒 / 北緯35.829500度 東経139.702944度 / 35.829500; 139.702944




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