清教徒革命
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脚注
参考文献
書籍
- 浜林正夫『イギリス市民革命史』未來社、1959年。
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- 今井宏編『世界歴史大系 イギリス史2 -近世-』山川出版社、1990年。ISBN 4634460203
- 田村秀夫編『クロムウェルとイギリス革命』聖学院大学出版会、1999年。
- 岩井淳・指明博編『イギリス史の新潮流:修正主義の近世史』彩流社、2000年。ISBN 4882026716
- 松村赳・富田虎男編著『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 476743047X
- ジョン・ブリュア著、大久保桂子訳『財政=軍事国家の衝撃:戦争・カネ・イギリス国家1688-1783』名古屋大学出版会、2003年。ISBN 4815804656
- 松浦高嶺『イギリス近代史論集』山川出版社、2005年。ISBN 4634674505
- 清水雅夫『王冠のないイギリス王 オリバー・クロムウェル―ピューリタン革命史』リーベル出版、2007年。
- シセリー・ヴェロニカ・ウェッジウッド著、瀬原義生訳『イギリス・ピューリタン革命―王の戦争―』文理閣、2015年。
- ナイジェル・トランター著、杉本優訳『スコットランド物語』大修館書店、1997年。ISBN 4469244015
- ロザリンド・ミチスン編、富田理恵・家入葉子訳『スコットランド史——その意義と可能性』未來社、1998年。ISBN 4624111680
- シェイマス・マコール著、小野修編、大渕敦子・山奥景子訳『アイルランド史入門』明石書店、1996年。ISBN 4750308099
- ルネ・フレシェ著、山口俊章・山口俊洋共訳『アイルランド』白水社<文庫クセジュ791>、1997年。ISBN 4560057915
- 山本正『「王国」と「植民地」——近世イギリス帝国のなかのアイルランド』思文閣出版、2002年。ISBN 4784210962
論文
- 近藤和彦「「イギリス革命」の変貌——修正主義の歴史学」『思想』第964号、2004年8月号、pp.42-51、岩波書店。
- 玉木俊明「ヨーロッパ近代国家形成をめぐる一試論——「軍事革命」・「軍事財政国家」・「プロテスタント=インターナショナル」」『歴史の理論と教育』第95号、pp1-10、名古屋歴史科学研究会、1997年。
- 酒井重喜「最後の船舶税と議会」『海外事情研究』31-2号、熊本学園大学付属海外事情研究所、2004年。
- 友田卓爾「イギリス革命における一般民衆の政治化——B・ホワイトロックの『メモリアルズ』に関する覚え書き」(1)-(2)『地域文化研究(広島大学総合科学部)』(1)第26号、pp137-159、2000年、(2)第27号、pp113-137、2001年。
- 同「イギリス革命期「大衆請願」の用法にみられる革新性」『地域文化研究(広島大学総合科学部)』第28号、pp39-69、2002年。
- ジョン・モリル著、富田理恵訳「17世紀ブリテンの革命再考」『思想』第964号、2004年8月号、pp.52-75、岩波書店。
また、イングランド議会について
- House of Commons Journal (British History Online)(ユーザ登録が必要)
関連項目
ブリテンの歴史 | |||||||||||
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先史時代 | |||||||||||
ゲール人 | ブリタンニア | ピクト人 | |||||||||
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ノルマン朝イングランド王国 | アルバ王国 | ||||||||||
プランタジネット朝 (国名同上。アンジュー帝国とも) | |||||||||||
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ステュアート朝 | |||||||||||
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アイルランド王国 | イングランド王国 | スコットランド王国 | |||||||||
(国名同上) | (国名同上) | (国名同上) | |||||||||
清教徒革命、政教分離 | |||||||||||
イングランド共和国 | |||||||||||
王政復古 | |||||||||||
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アイルランド王国 | イングランド王国 | スコットランド王国 | |||||||||
(国名同上) | 合同法(1707年) | ||||||||||
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ハノーヴァー朝 | |||||||||||
(国名同上) | (国名同上) | ||||||||||
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サクス=コバーグ=ゴータ朝、ウィンザー朝 | |||||||||||
(国名同上) | |||||||||||
英愛条約 | |||||||||||
アイルランド自由国 | イギリス | ||||||||||
アイルランド憲法公布による改名 | |||||||||||
アイルランド | |||||||||||
関連項目:イギリスの歴史、ウェールズの歴史 | |||||||||||
注釈
- ^ エリザベス1世治世期で82万ポンド、ジェームズ1世は77万ポンド、チャールズ1世は65万ポンドの領地を売りに出して当座をしのいだ。革命中に政府が売却した残りの王領地は200万ポンド未満であったといわれるから、3人の王をあわせて半分以上となる。浜林(1959)、P28 - P29。
- ^ 船舶税の徴収を確実なものとするために、徴税にあたっている州長官に歩合制の報酬と、徴税を監視する没収官の派遣を導入した。無給の名誉職であった州長官にとって屈辱的なこの改革はかえって反発を招き、税収は予定額の2割に落ち込んだ。
- ^ ストラフォード伯は1632年から1640年4月までアイルランドへ赴任、ロードと同じく国王に服従させるため監督制の強制と収奪を行い、アイルランドの財政均衡に成功しイングランド本国にも利益を上げることが出来た。しかし彼が帰国すると力で押さえ付けられていたアイルランド住民が反乱を起こし、革命の発火点となった。浜林(1959)、P80 - P81、今井(1990)、P187。
- ^ 鉄騎隊に訓練を施し集団戦法を得意とする精鋭部隊に作り上げ、戦功を挙げたクロムウェルは議会から一目置かれるようになり、1644年1月には公式に東部連合副司令官に任命、スコットランドとイングランドが同盟を結び両王国委員会が設置されるとその一員に選ばれ、軍人としても政治家としても台頭していった。またこの年6月に議会派の中心人物だったハムデンが国王軍との戦いで敗死、12月にピムが病死したこともクロムウェルが議会、ひいては革命の指導者にのし上がった一因になった。今井(1984)、P63 - P72、清水、P64 - P69、P73。
- ^ スコットランド出兵に関して、フェアファクスが議会の出兵命令を拒否してクロムウェルの説得を振り切り司令官を辞職、クロムウェルが代わりに司令官として出兵することになった。このフェアファクスの態度はかつての同盟国スコットランドへの侵略に抵抗があったからとも、妻や周囲の人々に説得され長老派に心を傾けたからとも言われている。浜林(1959)、P202 - P203、今井(1984)、P160 - P161、清水、P175。
- ^ ランプ議会解散後にハリソンはクロムウェルに政権構想を発表、それが反映されベアボーンズ議会が開会したが、議会の内部対立でクロムウェルに見限られ失脚、軍から追放された。その後ハリソンは護国卿体制では一転してクロムウェルに反対したため投獄、王政復古政府にも危険視され処刑された。今井(1984)、P188 - P192、P194、松村、P315、清水、P202 - P203、P214 - P215、P226、P239、P266。
- ^ 「ブレダ宣言」は以下の4項目からなり、チャールズ2世の寛容さを印象づけた。(1)革命中の行動は、議会の指名したものを除き大赦を与える。(2)宗教上の意見の相違は、議会の定めにより寛容を認める。(3)軍隊の給与は、議会に決定に従ってすみやかに支払う。(4)革命中の土地所有権の移動は、議会によって処理する。浜林(1959)、P310、今井(1990)、P239 - P240。
出典
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- ^ 山本、P161、清水、P164 - P167。
- ^ 清水、P167 - P172。
- ^ 浜林、P200 - P201。
- ^ 浜林、P240 - P241、山本、P153 - P161、清水、P168 - P169、P171。
- ^ 山本、P161 - P163。
- ^ 山本、P163 - P169。
- ^ 山本、P170 - P173。
- ^ 浜林、P264 - P273、P315。
- ^ ブリュア、P53 - P55、P70。
- ^ ブリュア、P102 - P106、P172 - P177、松浦、P76、P82 - P86。
- ^ 岩井、P12 - P13、P18 - P19、P76、P124。
- ^ 岩井、P13、P76 - P77、P173 - P174。
- ^ 岩井、P212 - P216。
- ^ 岩井、P94 - P96。
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