清教徒革命〜亡命生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/22 14:12 UTC 版)
「エイブラハム・カウリー」の記事における「清教徒革命〜亡命生活」の解説
清教徒革命時のイングランド内戦によって、カウリーの人生は変転し始める。カウリーは王党派、イングランド国教会派寄りの保守的な思想を奉じており、このときも王党派に属した。そのために1643年、議会派によって、カウリーは当時務めていたトリニティ・カレッジの研究員の職を解かれ、やむなく母校ケンブリッジを追われることになった。その後、しばらくはフォークランド卿の庇護の下、オックスフォードに滞在する。しかし、マーストン・ムーアの戦いの後、女王に従いフランスに亡命。パリで王党派としての活動を続けることになった。
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