河北新報
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 21:55 UTC 版)
沿革
- 1897年1月17日 - 一力健治郎により創刊。
- 1952年 - 「河北文化賞」創設。
- 1957年 - 創刊60周年。
- 1987年 - 創刊90周年。
- 1993年 - CI導入。
- 1997年 - 創刊100周年。
- 2003年 - 河北新報印刷センター完成。
- 2007年 - 創刊110周年。
- 2017年 - 創刊120周年。
- 2020年 - 創刊123周年。
- 7月27日 - 通算発行数が44444号となる。
県域面
- 2003年(平成15年)までは、各県ごとに県域面が存在していた。宮城版は日によって異なるが平均で4ページ、他県版は毎日1ページ[注 7]、あとのページは前日の夕刊の中面に差し替え)。
- 2004年(平成16年)の紙面刷新で、宮城版を除く県域面が廃止され「とうほく交流ワイド」面2ページが新設された(宮城版は「とうほく交流ワイド」面2ページに加えて、県域面「みやぎ」2ページ+「みやぎ地域ニュース」2ページの4ページが別途あり、宮城以外では前日の夕刊の中面に差し替え)。河北新報の発表データによると[どれ?]、2009年時点で宮城版以外の発行部数は約1.5万部と、全体の発行部数に比してごくわずかであり、県ごとに紙面を差し替える余裕がなくなったためと見られる[独自研究?]。
- 2008年(平成20年)4月からは「とうほく交流ワイド」面が「ワイド東北」面に宮城版の圏域面「みやぎ」が「みやぎ総合」、「みやぎ地域ニュース」が「みやぎ街ひと話題」に名称変更された。
4コママンガ
注釈
- ^ 「白河以北一山百文」には、『近事評論』1878年8月23日発行分に掲載された「白河以北一山百文」という記事の「西南では飛ぶように土人形が売れるが、東北地方では『白河より北では土人形の一山で100文』と言って叩き売りにしないと売れない、と売り子が嘆く。それでも東北も栄えて、同じように飛ぶように売れる日がやがてくる、と諭す話」に由来するという別の説もある。「往来で日本地図を開き各地の土人形を並べて、『白河以北一山百文』と泣き叫ぶ売り子。聞けば、西南の人形は飛ぶように売れるが、東北地方はたたき売りでもしないと売れない。それが悲しくて泣いているという。そこで、こう諭した。治乱盛衰は天の道、今は人気がある西南もいつ廃れるかわからない。やがて東北の人形が大いに売れる日も来るだろう。すると、売り子は納得したと見え、泣くのをやめて、再び大声で叫んだ。『白河以北一山百文』と」という内容である。
- ^ 仙台、名取、岩沼、富谷、塩竈、多賀城の6市と松島、大和、利府、七ヶ浜の4町。
- ^ 広告も、全国共通のものをのぞくと、宮城県内向けのものがほとんどである。
- ^ 岩手県で比較的多く読まれているほかは各県の購読数は数百部程度にとどまる[11]。
- ^ 統合版でもあるため、開票結果は翌々日の紙面に掲載されることになる。
- ^ コピー折込の判断はそれぞれの販売店が行うので、選挙が行われた地域でも折込配信されないことがある。
- ^ 県によっては2ページの場合もあり。
- ^ 当時は、日本科学技術振興財団のテレビ部門(通称:科学テレビ。後のテレビ東京)の番組欄は非掲載。
- ^ テレビ欄での表記は「北海道テレビ」。これは「北海道放送テレビ」という意味であり、 1968年に開局した北海道テレビ (HTB) とは別。
- ^ テレビとは異なり、こちらは当初から「北海道放送」と記載。
出典
- ^ “22年4月ABC部数”. 新聞情報. (2023年5月3日)
- ^ 『大辞泉』小学館、1998年。
- ^ “資料 河北新報 媒体情報” (PDF). 河北新報. 2023年3月5日閲覧。
- ^ 広告料金表
- ^ 創刊号の1面
- ^ 米地文夫, 今泉芳邦, 藤原隆男、「新聞・雑誌名「東北」にみる明治期の東北地域観」『岩手大学教育学部研究年報』 1998年2月 第57巻 第2号 p.55-72
- ^ 日本新聞協会発行『新聞協会報』2018年9月18日付。
- ^ 朝日新聞を受託印刷(河北新報社)
- ^ 河北新報社が読売新聞の一部を受託印刷(河北新報社)[リンク切れ]
- ^ “朝日新聞の受託印刷拡大 河北新報社 約11万7000部に”. 河北新報. (2023年3月8日) 2023年3月8日閲覧。
- ^ 河北折込センター
- ^ a b 1966年5月と1967年4月のテレビ欄。
- ^ 河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙 文藝春秋社書籍ショールーム。
固有名詞の分類
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