武蔵野鉄道デハ100形電車 主要機器

武蔵野鉄道デハ100形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/12 05:19 UTC 版)

主要機器

制御装置はゼネラル・エレクトリック (GE) 社製Mコントロールの系譜に属する電空カム軸式自動進段式制御器RPC-101(GE製もしくは芝浦製作所製)を採用する[9][15][注釈 4]

主電動機はデハ100形においてはGE製の定格出力65HP仕様の主電動機を採用したが[9]、デハ130形より定格出力105HP (85kW)[要検証] のGE製GE-244Aに変更、出力増強が図られた[9]。GE-244A主電動機は同機種の国内ライセンス生産版である芝浦製作所製SE-102主電動機とともに、後の武蔵野鉄道における標準型主電動機として長年用いられた[15][注釈 4]

制動装置はGE社開発のJ三動弁を採用するAVR (Automatic Valve Release) 自動空気ブレーキである[16]

台車は電動車各形式が鉄道院制式のDT10系の、制御車各形式が同TR10系の基本設計をそれぞれ踏襲し[15]、固定軸間距離を縮小した独自仕様による[15]釣り合い梁式台車を装着した[15]。基礎制動装置は全台車ともクラスプ(両抱き)式である[11]

導入後の変遷

武蔵野鉄道時代

サハ105形105・106は落成翌年の1924年(大正13年)10月[4]にデハ100形と同一の電装品を用いて電動車化改造が実施され[9]、デハ105形105・106と車両番号(以下「車番」)は変更されず形式称号のみが変更された[9]。その後、サハ135形135・136が1928年(昭和3年)8月[4]に、サハ315形315が1929年(昭和4年)3月[4]にそれぞれ電動車化改造が実施され、いずれも形式称号のみ変更となって前者はデハ135形[9]、後者はデハ315形とそれぞれ改称された[9]。なお、一連の電動車化改造に際しては乗務員扉の新設が併せて実施されたが[17]、制御車のまま残存したサハ105形107・108についても後年乗務員扉の新設を実施[9]、デハ100形およびサハニ110形を除いて全車とも窓配置がdD222D222Ddで統一された[9][17]。また、サハニ110形111・112は1935年(昭和10年)12月[9]に小手荷物室を撤去・客室化してサハ110形と改称された[4][注釈 5]。また同時に乗務員扉が新設され、窓配置はd2D22D222D1となった[11]

後年、時期は不詳ながら[4]デハ100形は全車とも電装解除され、サハ100形101 - 104と改称されたが[4]クハ5855形電車など制御車各形式が増備された時期に相当する1940年(昭和15年)に[9]、同年11月26日付設計変更認可[9]によって4両とも電動車デハ100形へ再改造された。再度の電動車化に際しては制御方式が従来の間接自動制御から間接非自動制御(HL制御)に変更となり[9]、RPC-101制御装置を搭載する他形式との混用は不可能となった[9]。電動車に復帰した同4両は比較的短期間で再び電装解除および片側の運転台を撤去して片運転台構造とされた上で制御車代用となり[4]、以降はHL制御仕様の制御車として運用された[4]

(現)西武鉄道成立後

戦後の武蔵野鉄道と(旧)西武鉄道との合併による(現)西武鉄道成立後[注釈 3]1946年(昭和21年)12月[4]にデハ105形105が、翌1947年(昭和22年)6月[4]には同デハ106がそれぞれ近江鉄道へ貸渡された。当時は西武鉄道においても戦中の酷使に起因する在籍する車両の故障発生率増加および稼働率低下に伴う車両不足に悩まされていた時期であったものの[18]、近江鉄道においては車両稼働率低下が西武鉄道以上に深刻な状況に陥っていたことから[18][注釈 6]、急遽デハ105形2両を救済目的で貸渡したものであった[18]。一方、西武鉄道に残存した各形式については、戦災国電払い下げ車両(モハ311形・クハ1311形電車)導入に伴う車両限界拡大が実施されたことに伴い[19]、各形式全車とも客用扉下部にステップを新設したのち、1948年(昭和23年)6月[10]に実施された一斉改番に際しては、制御車代用として運用されたデハ100形101 - 104およびサハ105形107・108がクハ1201形1201 - 1206、デハ135形135・136・デハ310形311およびデハ315形315がモハ201形201 - 204、サハ110形111・112がクハニ1211形1211・1212とそれぞれ改番・再編された[10]。旧サハ110形(サハニ110形)については改番に際して小手荷物室を設置して再び客荷合造車となったほか[4][注釈 5]、近江鉄道へ貸出中のモハ105形105・106および近江鉄道への譲渡が計画されていたモハ131形131・132については改番対象に含まれず、電動車を表す車両記号「デハ」を「モハ」と改めたのみであった[10]

デハ200形201・202については改番実施直前の1948年(昭和23年)5月[4]より現車は近江鉄道へ貸渡されたのち、翌1949年(昭和24年)6月[4]にデハ131形131・132とともに正式譲渡された。さらにクハ1201形1201・1202が1949年(昭和24年)11月[4]に、同クハ1203・1204が1950年(昭和25年)4月[4]にそれぞれ近江鉄道へ貸渡され、1950年(昭和25年)6月[9]にいずれも正式譲渡された。また前述モハ105形105・106については1948年(昭和23年)11月1日付認可[18]で正式譲渡されたが、翌1949年(昭和24年)9月28日付申請[18]・同年11月1日付認可[9]で近江鉄道より返還されたのち[18][注釈 7]、モハ105は1950年(昭和25年)10月[4]に松本電気鉄道(現・アルピコ交通)へ、モハ106は1949年(昭和24年)中[20]岳南鉄道へそれぞれ譲渡された。

一連の貸渡および譲渡が実施された結果、1951年(昭和26年)以降に西武鉄道に残存した車両はモハ201形203・204、クハ1201形1205・1206、およびクハニ1211形1211・1212の3形式6両のみとなった[4]。また、クハニ1211形1211・1212は1954年(昭和29年)7月[9]に小手荷物室を撤去・客室化してクハ1207・1208と改番、クハ1201形に編入された[4]。これら各形式についても、1955年(昭和30年)9月[9]から翌1956年(昭和31年)6月[9]にかけて順次地方私鉄へ譲渡、もしくは鋼体化改造名義によって事実上廃車となり、武蔵野鉄道が新製発注した木造車各形式は全て形式消滅した[3][5]

譲渡車両

西武鉄道における除籍後の各形式は、前述のように終戦直後より近江鉄道へ貸出・譲渡された車両が多数を占め[3]、また後年除籍された車両についても車体改修工事を実施して地方私鉄へ譲渡されたものも存在し[3]、最終的に全16両中12両が譲渡対象となった[3]。いずれも木造車体仕様のまま譲渡されたことから[21]、譲渡先事業者においても比較的早期に車体新製もしくは載せ替えによる鋼体化改造が実施され[21]1962年(昭和37年)までに外観上の原形を保つ車両は消滅した[2][18][21]。なお、鋼体化改造を実施した車両についても既に全車廃車となっており[22]、現役の車両として運用されているものは存在しない[22]

  • 松本電気鉄道 - モハ105形105が譲渡され、同社デハ13として導入された[21]
  • 岳南鉄道 - モハ105形106が譲渡され、同社モハ105形106として原形式・原番号のまま導入された[21]
  • 近江鉄道 - モハ131形131・132、モハ201形201・202、クハ1201形1201 - 1204の計8両が譲渡され、いずれも原形式・原番号のまま導入された[21]

注釈

  1. ^ a b c d 武蔵野鉄道においては制御車の車両記号を「サハ」と称した。
  2. ^ 全線開業翌年の1916年(大正5年)から1921年(大正10年)にかけての利用客数増加率は2.47倍であったものが、電化が完成した時期に相当する1921年(大正10年)から1927年昭和2年)までの統計では増加率が6.44倍に急増した。
  3. ^ a b 合併当初の社名は「西武農業鉄道」。1946年(昭和21年)11月15日付で現社名へ改称。
  4. ^ a b RPC-101制御装置・GE-244 (SE-102) 主電動機とも、当時の鉄道院における制式機器として採用された機種であり、鉄道省によって前者はCS1、後者はMT4という独自の型番が付与されていた。
  5. ^ a b サハニ110形の小手荷物室撤去については、『私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道1』今城光英・加藤新一・酒井英夫 (1969) p.71において、設計変更認可は下ったものの実際には施工されず小手荷物室スペースがそのまま存置された可能性が指摘されている。
  6. ^ 同2両の借り入れに先立って近江鉄道が提出した1946年(昭和21年)10月31日付譲受認可申請において「輸送量ノ増加ト故障車続出」が借り入れ理由として挙げられており、緊急性の高さを物語る。
  7. ^ 深刻な車両不足救済を目的として入線した同2両であったが、主要機器の故障を頻発し現場から不評を買ったことから、前述モハ201形201・202と無償交換の形で西武鉄道へ返還された。
  8. ^ 1946年(昭和21年)12月近江鉄道貸渡、1948年(昭和23年)11月正式譲渡、1949年(昭和24年)11月西武鉄道返還。
  9. ^ 1947年(昭和22年)6月近江鉄道貸渡、1948年(昭和23年)11月正式譲渡、1949年(昭和24年)11月西武鉄道返還。
  10. ^ a b クハ1205・1206の鋼体化改造名義で1956年(昭和31年)3月に501系電車(初代)付随車サハ1501形1511・1512を新製。台枠の部材など一部が同2両の新製に際して活用されたとされる。
  11. ^ a b クハ1207・1208の鋼体化改造名義で1955年(昭和30年)4月にサハ1501形1507・1509を新製。台枠の部材など一部が同2両の新製に際して活用されたとされる。

出典

  1. ^ a b 「東京附近私鉄電車の研究1 武蔵野線の巻」 (1946) p.87
  2. ^ a b 白土貞夫 「私鉄車両めぐり(83) 近江鉄道 下」 (1982) p.280
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) pp.150 - 151
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) p.151
  5. ^ a b c d e f g h 今城光英・加藤新一・酒井英夫 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) pp.69 - 70
  6. ^ a b 青木栄一 「西武鉄道のあゆみ - その路線網の拡大と地域開発」 (1992) pp.101 - 102
  7. ^ a b c d e f 青木栄一 「西武鉄道のあゆみ - その路線網の拡大と地域開発」 (1992) p.104
  8. ^ a b c 高嶋修一 「西武鉄道のあゆみ - 路線の役割と経営の歴史過程」 (2002) p.101
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 今城光英・加藤新一・酒井英夫 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) p.70
  10. ^ a b c d e 今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.77
  11. ^ a b c d e f g h 佐藤利生 「西武鉄道車両カタログ」 (1992) p.169
  12. ^ a b 益井茂夫 「私鉄車両めぐり(39) 西武鉄道 1」 (1960) p.44
  13. ^ a b c d 益井茂夫 「私鉄車両めぐり(39) 西武鉄道 1」 (1960) p.43
  14. ^ a b 益井茂夫 「私鉄車両めぐり(39) 西武鉄道 1」 (1960) p.45
  15. ^ a b c d e 奥野利夫 「50年前の電車 (VII)」 (1977) p.38
  16. ^ 白土貞夫 「私鉄車両めぐり(83) 近江鉄道 下」 (1982) p.284
  17. ^ a b 益井茂夫 「私鉄車両めぐり(39) 西武鉄道 1」 (1960) pp.43 - 44
  18. ^ a b c d e f g 白土貞夫 「私鉄車両めぐり(83) 近江鉄道 下」 (1982) p.279
  19. ^ 中川浩一 「私鉄高速電車発達史(11)」 (1966) pp.47 - 48
  20. ^ 吉川文夫 「私鉄車両めぐり第2分冊 岳南鉄道」 (1962) p.52
  21. ^ a b c d e f g h 吉川文夫 「全国で働らく元西武鉄道の車両 (上)」 (1969) p.38
  22. ^ a b 岡崎利生 「西武所沢車両工場出身の車両たち(譲渡車両の現状)」 (2002) pp.214 - 215


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