服藤早苗
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佐伯順子の「遊女神聖論」[3]を批判した[4]。また高群逸枝が史料の改竄を行ったとする栗原弘の説に対し、わずかな改竄はあったが、説全体に影響を与えるほどではないと反論した[5]。
経歴
- 1971年 - 横浜国立大学教育学部教育学科卒業。小学校教諭となる[6]。
- 1977年 - 東京教育大学文学部日本史学科卒業[6]。
- 1980年 - お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了[6]。
- 1986年 - 東京都立大学 (1949-2011)大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学[6]。
- 1991年 - 『平安朝の母と子』『家成立史の研究』で第6回女性史青山なを賞を受賞[2][7]。
- 1992年 - 「家成立史の研究-祖先祭祀・女・子ども」で東京都立大学文学博士[8]。
- 2001年 - 新設された埼玉学園大学教授に就任[6]。
- 2009年 - 埼玉学園大学人間学部学部長[6]。
- 2015年 定年退職、名誉教授。
著書
単著
- 『平安朝の母と子』(中公新書 1991年)女性史青山なを賞受賞
- 『家成立史の研究』(校倉書房 1991年)女性史青山なを賞受賞
- 『平安朝の女と男』(中公新書 1995年)
- 『平安朝の家と女性』(平凡社 1997年)
- 『平安朝 女性のライフサイクル』(吉川弘文館 1999年)
- 『「源氏物語」の時代を生きた女性たち』(NHK出版ブックス 2000年)
- 『21世紀に読む日本の古典『今昔物語』』(ポプラ社 2001年)
- 『平安朝に老いを学ぶ』(朝日新聞社 2001年)
- 『平安王朝の子どもたち』(吉川弘文館 2004年)
- 『平安朝 女の生き方』(小学館 2004年)
- 『平安王朝社会のジェンダー』校倉書房 2005年)
- 『平安朝の父と子 貴族と庶民の家と養育』(中公新書、2010年)
- 『古代・中世の芸能と買売春 遊行女婦から傾城へ』明石書房、2012
- 『平安王朝の五節舞姫・童女 天皇と大嘗祭・新嘗祭』(塙選書 塙書房 2015
- 『藤原彰子』吉川弘文館・人物叢書、2019
共編著・監修
- (上野千鶴子・田端泰子)『ジェンダーと女性』(早稲田大学出版会、1997年)
- (山田昌弘・吉野晃)『恋愛と性愛』(早稲田大学出版会、2002年)
- (服藤 編著・西野悠紀子・伴瀬明美・菅原正子・久保貴子 執筆)『歴史のなかの皇女たち』(小学館、2002年)
- (戸川点・小嶋菜温子)『ケガレの文化史』(森話社、2005年)
- (赤阪俊一)『文化としての暴力』(森話社、2006)
- 『日本のもと 家族』監修. 講談社 2011
- 『歴史をつくった女性大事典』全2巻 監修. 学研教育出版 2013
- 『「平家物語」の時代を生きた女性たち』編著 (小径選書 小径社 2013
- 『王朝びとの生活誌 『源氏物語』の時代と心性』 (叢書・文化学の越境 小嶋菜温子, 倉田実共編. 森話社 2013
- 『平安朝の女性と政治文化 宮廷・生活・ジェンダー』編著. 明石書店 2017
出典・脚注
- ^ a b “教員紹介 服藤早苗”. 埼玉学園大学. 2013年6月25日閲覧。
- ^ a b “服藤 早苗 プロフィール”. 明石書店. 2019年10月12日閲覧。
- ^ 「聖なる遊女」を唱えた学者は他に折口信夫、網野善彦がいる。
- ^ 小谷野敦 (2006年10月2日). “渋×知×事件顛末”. 小谷野敦. 2013年6月25日閲覧。『平安王朝社会のジェンダー』。
- ^ 『『源氏物語』の時代を生きた女性たち』2000年。ただし詳細な検討はなされていない。
- ^ a b c d e f g 服藤早苗 (2009年). “at home 教授対談シリーズ こだわりアカデミー 平安時代に興味を持ってみると、『新しい』歴史がみえてきます”. アットホーム. 2013年6月25日閲覧。
- ^ “女性史青山なを賞”. 東京女子大学女性学研究所. 2019年10月12日閲覧。
- ^ “家成立史の研究 -祖先祭祀・女・子ども 江村早苗 (服藤早苗)”. 国立国会図書館. 2013年6月25日閲覧。
- 1 服藤早苗とは
- 2 服藤早苗の概要
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