新潟地震
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報道
新潟地震は、豊富な記録映像が残った初めての地震としても知られ、地震の被害を収めた衝撃的な映像は(当時はモノクロではあったものの)、当時新潟に存在していたNHKと新潟放送の2つのテレビ局、更に後者は加盟しているJNNのキー局TBSを通じて、全国のニュース番組等でも日本各地に伝えられた[注 5]。
しかし、地震発生時は新潟県内のテレビ局に繋がるNTT中継回線がどの方面(3方向4回線)も切れてしまっており、全国にその模様を伝えることに於いて、その対応にNHKとJNN系の新潟放送とTBSは苦心した。
NHK
NHK総合テレビでは、13時25分から「津波警報」を実施[25]。夕刻の17時33分に自力でローカル放送を再開したNHK新潟放送局の弥彦山送信所からの放送波を、NHK富山放送局の呉羽山送信所の放送波中継で辛うじてとらえ[26]、NHK金沢放送局とNHK名古屋放送局のマイクロ波回線で東京に送り、ようやく全国に映像が流れるという混乱ぶりであった[27][28][29][30]。
新潟放送(BSN)
新潟放送の対応については、1967年に新潟放送が発行した社史「新潟放送十五年のあゆみ」(新潟放送社史編纂委員会:編)の第11章「全国の耳目を集めた新潟地震<注目された災害報道>」(366~397ページ)に詳細が掲載されている[31](新潟放送#災害当時の放送体制も参照)。
地震発生後の番組編成、活動状況は下記の通り(抜粋)。
- 6月16日
- 13時01分 ラジオ『歌で歩む50年』、テレビ『いつか青空』を放送中に地震発生、新潟市で震度6を記録する。川岸町本社は停電と、本社-送信所間の地下埋設放送線が断線したためラジオ、テレビは放送不能になる。局舎に隣接する北陸瓦斯のガスタンク2基がガス漏れにより爆発の危険が出たため全社員に避難命令が出るが、数十分後に解除される[32]。
- 14時15分 テレビ放送再開。スタジオのカメラを屋上へ設置し、炎上する昭和石油からの2つの黒煙や落下した昭和大橋などを放送する[33]。
- 14時33分 屋上のカメラから信濃川を逆流する180cmの津波を放送すると同時に2インチVTRにも収録する(共に世界初)[33]。
- 15時05分 ラジオ、山ニツ送信所から放送再開。大和デパート新潟店で中元取材中、地震に遭遇した報道部の藤田実記者は徒歩で山ニツ送信所へ向かい、昭和大橋の被害、昭和石油の火災、津波、国鉄が不通などの情報を放送する。
- ラジオ再開後、テレビはラジオ音声を流し始める。
- 15時25分 本社→県警察本部(新光町)→警察庁(霞が関)→東京支社(当時は銀座にあった)経由でTBSラジオへ支援要請。
- 16時01分 ラジオ、県庁に設置された県災害対策本部から災害情報や尋ね人の放送を開始(本社スタジオは放送不能のため、新潟県庁に駐車したラジオカーから送信したFM波を直接山ニツ送信所で受信し放送する)。
- 17時15分 見舞い文に改められたラジオCM放送再開。
- 20時00分 ライフライン、公的情報、災害状況、尋ね人、新潟を訪れている修学旅行生の安否情報などを終夜放送する。
- 20時14分 川岸町本社 - 電電公社新潟電話局(現・NTT東日本新潟支店)間の電電公社の中継回線を仮復旧。『クイズ・クイズ・クイズ』のネット受けを途中から開始。
- 20時56分 テレビ、TBSへの臨時上り回線確保の完了を受け、同時間の同系列番組「JNNフラッシュニュース」にて、全国ネットでは初めて同地震の災害の映像の模様が放送される[34]。
- 深夜、テレビは放送休止
- 6月17日
- 10時10分 16日の応援要請を受けて、東京放送(TBS)と秋田放送から総勢57人のスタッフ、テレビ中継車と電源車、放送復旧機材等が新潟に到着。テレビでは即座にTBSの中継車・電源車が災害現場に向かい、ローカルの災害特別番組内にて、現地から生中継を行う[34]。
- 12時00分 この時間の「JNNニュース」にて、再度被害の模様を全国に伝える[34]。
- 12時45分 全国ネット番組『ポーラ婦人ニュース』(当時TBS・JNN系列だった朝日放送テレビ制作)にて、被災地から全国に生中継[34]。
- 18時00分 川岸町本社スタジオからラジオ放送を再開(本社 - 山ニツ送信所間をTBSが持参したFM広帯域一対向によって仮復旧)。特集『29時間後の新潟市から』を放送。
- 22時30分 ラジオ、尋ね人を約5,000人などを伝えた災害放送を終了。
又、同局の災害特別番組の放送中には、新潟市災害対策本部からの要請で、県内の化学製品工場の関係者あてに、化学消防車を昭和石油火災現場に派遣してほしい趣旨の救援放送を実施。ラジオを聞いていた関係者により、当日深夜化学消防車が応援に駆け付けた。
また、空撮の為に新潟空港にいた同局のカメラマンは滑走路上で発生した液状化現象を8mmフィルムカメラで撮影し、使用不能寸前の新潟空港から羽田空港へ向かい待機していた東京放送(現:TBSテレビ)のスタッフにフィルムが渡され全国放送された。
この地震に於いて、BSNやTBSが撮影したビデオ及びフィルム映像は、その後研究資料などとしても活用され、その後の地震対策などに大きな貢献を果たしている[33]。
2024年6月16日には、同地震が起きてからちょうど60年を迎えたのを機に、平日夕方のローカルワイドニュース『BSN NEWS ゆうなび』がこの日特別番組、「BSN NEWS ゆうなびスペシャル 新潟地震60年『あの日の記憶 あすへの備え』」を生放送。その際、この地震発生直後、信濃川に遡る「津波の映像」を世界で初めて生放送した場面を含む、当時の同局屋上からのテレビカメラ(モノクロ)で写した被害の模様の生放送を収録したビデオ映像のダイジェストを冒頭に、当時の他の様々な取材映像や被災者の証言を取り上げたりしながら新潟地震を振り返り、又、この年元旦に発生した能登半島地震によって再び発生した新潟市内の「液状化現象」も取り上げて、能登半島地震の被災地の現状や課題を伝えると共に、災害に強い街づくりや新潟県内企業の防災に向けた取り組みなどを紹介。地震被害に対しての「明日への備え」について考える内容を放送。この番組は翌日に、同局の公式YouTubeに全編アップされた[6]。このことにより、当時の津波映像を含むBSN・TBSが撮影した地震被害の模様の映像が、ネット上で公式に一般公開されるようになった。
その他
上記の放送局以外には、当時映画館で上映されていた『毎日ニュース』(毎日映画社制作)[35]を始めとする新聞社関連による報道記録フィルムも存在する。
2014年には、新潟映画社が地震直後の万代橋の復旧工事を撮影・記録した映像ネガフィルムが新たに発見されている[36]。
注釈
- ^ 水では消火できない油脂火災に対応する化学消防車が配備されていなかった。詳細は「#火災と液状化」参照。
- ^ 保険金の全額を損害保険会社が支払う火災保険と異なり、地震保険(地震保険制度)は、1966年の「地震保険に関する法律」の制定を受けて、政府と民間の損害保険会社が共同で運営する制度として発足した。制度創設の経緯等は『株式会社損害保険ジャパン P115、P120 』『損害保険料率算出機構(国内各損害保険会社に対し保険料の基礎となる保険料率等の提供機関[1] )』『社団法人日本損害保険協会 業務企画部 地震 ・ 火災・新種グループ 2 地震保険制度の概要 > (2)制度創設 』『保険毎日新聞 地震保険を語る 日本損害保険協会常務理事 』を参照。
- ^ 新潟県内のAM放送は21世紀の現在もNHKラジオ第1放送と同社の2局しかない。またFM放送はこの当時、東京にしか存在しなかった。
- ^ 新潟駅駅舎は被害が軽微であったが、駅構内は液状化現象により使用が出来なくなったため駅東側の笹口地区に仮設ホームを設置して6月19日から営業を再開した。
- ^ 尚、この地震に於いてテレビ局が撮影・保存し残された動画は全部モノクロであり、当時はキー局のNHK(放送センター)やTBSもカラー・フィルムでの報道取材は行っておらず(NHKは1966年10月26日、TBSは1968年9月30日各々同取材を開始)、更に、新潟のローカル・テレビ局の報道取材がカラー化されたのは、NHK・BSN共に1970年のことである。余談だが、1964年の地震当時、NHK新潟放送局は総合・教育共に既にカラー放送を開始、BSNはその後の同年10月1日に、東京オリンピックの開催を前に同放送を開始している。何れも同放送開始当初は共に、東京・大阪等からの電電公社の放送用のマイクロ波回線から受けた全国番組のみカラー放送が可能であった(以上、NHK新潟放送局#沿革、新潟放送#沿革、日本放送協会の沿革#特殊法人化後の昭和時代、TBSテレビ#沿革を参照)。
出典
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- ^ 「昭和石油 新潟製油所 被害状況、旧工場の焼損タンク138基、新工場の焼損タンク5基、合計143基」、総務省消防庁 『昭和39年 新潟地震 昭和石油株式会社 新潟製油所火災』。
「1964年新潟地震は、日本の歴史上、最も大きな災害を被った石油コンビナートの事例である」「火災が12日間続き、約150基の石油タンクが延焼し、ボイルオーバーが数回起こった」、消防庁消防研究センター古積博・岩田雄策らによる「Loss Prevention Bulletin(June 2013)」掲載の英語論文『Multi-Boilover Incidents in Oil and Chemical Complexes in the 1964 Niigata Earthquakes (1964年新潟地震における石油コンビナートの複ボイルオーバー事例)』の日本語要約『1964年新潟地震における貯蔵タンクのボイルオーバー事例』より。
『新潟地震の火災と液状化』新潟西港と新潟空港の間に位置する昭和石油新潟製油所(現:昭和シェル石油新潟石油製品輸入基地)の被害。
古積博、「ボイルオーバー:事故事例と最近の研究」『安全工学』 2016年 55巻 4号 p.253-264, doi:10.18943/safety.55.4_253, 安全工学会。 - ^ 『石油コンビナート等防災本部の訓練マニュアル』平成28年版、総務省 消防庁 特殊災害室 編。「Ⅱ 標準災害シナリオ」 > 「2 地震に起因し複数の火災現場に対応する標準災害シナリオ(昭和39年新潟地震を参考にした想定)」。
- ^ 「液状化現象が、工学的な観点よりはじめて認識されたのは1964年(昭和39年)の新潟地震である。多くの建物や橋脚などが沈下・傾斜した。また下水道マンホールや貯水槽などが浮上した。新潟地震を契機に液状化対策が施工されるようになった。それ以前の地震でも液状化が発生し、様々な被害が発生していたが、このような現象に技術者や研究者が注目することはなかった。」、『3.臨海部コンビナートの液状化に対する危険性と対策』 早稲田大学理工学部 教授 濱田政則(公益社団法人 土木学会会長)、一般財団法人 消防防災科学センター 「季刊 消防科学と情報」。
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- ^ a b c d 新潟放送社史編纂委員会 編『新潟放送十五年のあゆみ』新潟放送、1967年、388頁。NDLJP:2518084/442。
- ^ 【59年前 新潟地震】<昭和39年(1964年)6月24日>「昭和あの日のニュース」(「昭和あの日のニュース」 BS11と毎日映画社の共同YouTubeサイト。2023年06月16日アップ。)
- ^ 新潟日報. “新潟地震 万代橋復旧の姿 克明に”. 2014年4月8日閲覧。
- ^ 災害アーカイブ 新潟地震 製油所火災 2週間炎上 毎日新聞(2016年11月25日)
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