山陽小野田市
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歴史
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沿革
- 1775年(安永4年) - 高泊村が東高泊村と西高泊村に、須恵村が東須恵村と西須恵村に分村する。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。厚狭郡に高畑村、東高泊村、西高泊村、千崎村、有帆村が成立。
- 高畑村、東高泊村、西高泊村、千崎村、有帆村が合併し、高千帆村となる。
- 西須恵村が須恵村と改称する。
- 鴨庄村、厚狭村、郡村が合併し、厚西村となる。
- 山川村、山野井村が合併し、出合村となる。
- 津布田村、土生村、福田村が合併し、生田村となる。
- 1918年(大正7年)10月1日 - 町制施行・改称により、厚西村が厚狭町となる。
- 1920年(大正9年)4月3日 - 町制施行・改称により、須恵村が小野田町になる。
- 1929年(昭和4年)4月1日 - 出合村が厚狭町へ合併編入される。
- 1938年(昭和13年)4月1日 - 町制施行により、高千帆村が高千帆町になる。
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 小野田町と高千帆町が合併し、同時市制施行により小野田市となる。
- 1943年(昭和18年)9月15日 - 宇部市大字東須恵の一部が編入(丸河内)。
- 1948年(昭和23年)6月1日 - 町制施行・改称により、生田村が埴生町となる。
- 1950年(昭和25年)8月27日 - 旧高千帆町の分離賛否を問う住民投票実施。結果は、反対多数。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 厚狭町と埴生町が合併し、山陽町となる。
- 1957年(昭和32年) - 小野田市と山陽町との合併に関わる住民投票実施。結果は、見送り。
- 1989年(平成元年)9月1日 - 宇部市大字東須恵の一部が編入(自由ヶ丘)。
- 2004年(平成16年)1月18日 - 小野田市と山陽町にて、宇部市、小野田市、楠町、山陽町の2市2町合併に関わる住民投票実施。結果は、否決多数。
- 2005年(平成17年)3月22日 - 小野田市と山陽町が合併し、山陽小野田市となる[1]。
注釈
出典
- ^ 「山陽小野田市誕生10周年 市民ら発展誓い合う」『読売新聞』2015年3月23日付、読売新聞社
- ^ 姉妹都市 山陽小野田市
- ^ 特産「寝太郎かぼちゃ」朝食のお供に 山口・厚狭高の生徒 レトルト商品開発『日本農業新聞』2020年6月6日(2020年6月8日閲覧)
- ^ 郵便番号検索 - 山口県山陽小野田市硫酸町(リュウサンマチ) 日本郵便、2022年9月27日閲覧。
- ^ バス停「硫酸町」「火薬町」ってどんな場所? かつては「セメント町駅」も 乗りものニュース、2017年7月5日
- ^ 山口東京理科大学の公立大学化について 山口東京理科大学、2015年(平成27年)12月25日
固有名詞の分類
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