山陽小野田市 歴史

山陽小野田市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 02:19 UTC 版)

歴史

沿革

  • 1775年安永4年) - 高泊村が東高泊村と西高泊村に、須恵村が東須恵村と西須恵村に分村する。
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行。厚狭郡に高畑村、東高泊村、西高泊村、千崎村、有帆村が成立。
    • 高畑村、東高泊村、西高泊村、千崎村、有帆村が合併し、高千帆村となる。
    • 西須恵村が須恵村と改称する。
    • 鴨庄村、厚狭村、郡村が合併し、厚西村となる。
    • 山川村、山野井村が合併し、出合村となる。
    • 津布田村、土生村、福田村が合併し、生田村となる。
  • 1918年大正7年)10月1日 - 町制施行・改称により、厚西村が厚狭町となる。
  • 1920年(大正9年)4月3日 - 町制施行・改称により、須恵村が小野田町になる。
  • 1929年昭和4年)4月1日 - 出合村が厚狭町へ合併編入される。
  • 1938年(昭和13年)4月1日 - 町制施行により、高千帆村が高千帆町になる。
  • 1940年(昭和15年)11月3日 - 小野田町高千帆町が合併し、同時市制施行により小野田市となる。
  • 1943年(昭和18年)9月15日 - 宇部市大字東須恵の一部が編入(丸河内)。
  • 1948年(昭和23年)6月1日 - 町制施行・改称により、生田村が埴生町となる。
  • 1950年(昭和25年)8月27日 - 旧高千帆町の分離賛否を問う住民投票実施。結果は、反対多数。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 厚狭町埴生町が合併し、山陽町となる。
  • 1957年(昭和32年) - 小野田市と山陽町との合併に関わる住民投票実施。結果は、見送り。
  • 1989年平成元年)9月1日 - 宇部市大字東須恵の一部が編入(自由ヶ丘)。
  • 2004年(平成16年)1月18日 - 小野田市と山陽町にて、宇部市、小野田市、楠町、山陽町の2市2町合併に関わる住民投票実施。結果は、否決多数。
  • 2005年(平成17年)3月22日 - 小野田市と山陽町が合併し、山陽小野田市となる[1]

注釈

  1. ^ 町も含めると山梨県富士河口湖町が存在する。また、過去の漢字5文字市名として大湊田名部市(現・むつ市、1959-1960年に約1年間存在)がある。
  2. ^ 正式表記が機種依存文字であるため、しばしばひらがなで代用される。また、「楴山」を用いることもある。

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