小椋佳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/15 06:49 UTC 版)
小椋 佳 | |
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出生名 |
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別名 | 葉月多夢 |
生誕 | 1944年1月18日(80歳) |
出身地 | 日本・東京都下谷区東黒門町(現:台東区上野) |
学歴 |
東京大学法学部卒業[1] 東京大学文学部卒業 東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了 |
ジャンル |
フォークソング ニューミュージック 歌謡曲 |
職業 |
シンガーソングライター 作詞家 作曲家 |
担当楽器 |
ボーカル ギター 薩摩琵琶 |
活動期間 | 1971年 - |
公式サイト | 小椋佳(公式サイト) |
1971年に歌手としてデビュー。当初はフォークソングあるいはニューミュージックに分類されていたが、次第にジャンルを広げていった。銀行員としてエリートコースを歩む一方、デビューから20年以上もの間、ほとんど表舞台に出ないアーティストとして活躍する[3]。
1993年、銀行を退職すると、音楽活動の一方で再び母校の東京大学法学部に学士入学し、1995年に法学部第3類(政治コース)を卒業。さらに東京大学文学部思想文化学科とその大学院(人文社会系研究科の思想文化コース)でも学び、2000年に修士号を取得した(哲学専攻)。
他の歌手への提供曲も多く、のべ300人以上の歌手に楽曲を提供している(2023年1月時点)[3]。1975年の「シクラメンのかほり」(歌:布施明)は第17回日本レコード大賞などを受賞した。その他、「俺たちの旅」・「時」・「俺たちの祭」(歌:中村雅俊)、「愛燦燦」(歌:美空ひばり)、「夢芝居」(歌:梅沢富美男)、「十六夜だより」(歌:三橋美智也)などがある。作詞のみを担当した曲としては「憧れ遊び」、「愛しき日々」、「遥かな轍」(作曲・歌:堀内孝雄)、「山河」(作曲:堀内孝雄、歌:五木ひろし)、「白い一日」(作曲・歌:井上陽水)がある。作曲のみを担当した曲では「匠」(歌:三橋美智也)がある。また、アニメーション『銀河英雄伝説』のエンディング曲、校歌・市歌・社歌なども数多く手掛けている。
注釈
- ^ 佳穂里は青山学院大学を中退して文学座に入団し、杉村春子と旅公演に出たり、映画にも出演して人気が出ていたが、役者に向かないと文学座を退団し、妻となった。
- ^ 本人によると「終演時の幕が下りると同時に、僕の中でとんでもない寂しさが押し寄せた。音楽活動をしていた僕は、“社会人になったら舞台を客席から見る側の人間になっちゃう”という焦りが湧き出した」と述懐している[3]。
- ^ 大学、勧銀の同期には後に第一勧銀最後の頭取となる杉田力之がいた。また、東大法学部の同期には公明党元代表の神崎武法や東京海上日動火災保険相談役の石原邦夫らがいた。
- ^ 営業店としては富士銀行側に統合、建物跡地としてはダイワロイネットホテルが立地する
- ^ まだ無名のころ、ライブハウスで初めてステージに立った際、一緒に出演したのが井上であった。
- ^ 本人は後年、「人事部長がおおらかな人で、歌手活動について伝えたんだけどその人は特にいいともダメとも言わず、なんとなく“オッケー”になっちゃったんです」と述懐している
- ^ 1月15日テレビ朝日系で録画放送。
- ^ 「やらまいか」とは遠州弁で「やってみよう」の意味。
- ^ 本人は後に、「サラリーマン人生として残るは、出世のためにあくせくするだけなんです。そういうことにエネルギーを使うのは、僕の人生ではないと思った」と回想している。
- ^ 本人によると、1990年前後のバブル期に地方自治体はコンサート会場などの箱物を盛んに造ったが、自治体主催の催し物は赤字になることも多かった。1993年頃、自治体などの間で「小椋佳のミニコンサートをやると会場に客が入って収支がプラスで終わる」とことが判明し、コンサートの依頼が増えたという。
- ^ 本人は後年、「母親を59歳で糖尿病で亡くしていたから、僕も“50代後半で死ぬかも”と覚悟していた。でも今はそれが改善されたから、変な話がんのおかげで長生きしてるようなものなんですよ」と語っている[3]。
- ^ 本人によると、絶妙な夫婦の距離感が保てるようになり、以前より関係が良好になったことから気持ちが安定し、充実した音楽活動を続けることができたという[3]。
- ^ モーニング娘。'18、およびアンジュルム、Juice=Juice、カントリー・ガールズ、こぶしファクトリー、つばきファクトリー、CHICA#TETSU(一岡伶奈率いる新規グループ)、雨ノ森 川海(高瀬くるみと清野桃々姫等が率いる新規グループ)
- ^ 静岡県を除く東海地方・北陸地方・近畿地方・山口県を除く中四国地方。
- ^ 本来掲載するべき1月2日の土曜日が新聞休刊日により新聞がなかったため、元日付けに併載の2日のテレビ面に初回を掲載。
- ^ 前半のラストに歌唱
出典
- ^ a b c “50歳で東大に再入学した小椋佳、つまらない授業に「ダメ出しした」 大宮エリーとの対談で明かす(1)”. AERA dot. (2022年12月9日). 2024年6月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h もういいかい 2021, pp. 20–28.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 女性自身2023年2月14日号・シリーズ人間「もう燃え尽きた…でも、余生も愛燦燦」p58-64
- ^ 松井清人『オカン、おふくろ、お母さん』(文藝春秋、2006年、60 - 61頁)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t もういいかい 2021, pp. 34–65.
- ^ <(私の履歴書)小椋佳 「日経新聞」2016年1月1日〜31日掲載>[リンク切れ]
- ^ 小椋佳 プロフィール
- ^ a b c d e f g h もういいかい 2021, pp. 68–117.
- ^ a b c d もういいかい 2021, pp. 120–158.
- ^ *NHK特集 小椋佳の世界 NHK名作選(動画・静止画)-NHKアーカイブス
- ^ 林進、小川博司、吉井篤子『消費社会の広告と音楽』有斐閣、1984年、40-41頁。ISBN 9784641024052。
- ^ 胃がんの手術後、食の楽しみが失われてしまいました 胃がん、劇症肝炎と2度の大病を患ったシンガーソングライター・小椋 佳さん(71歳)がんサポート、2024年4月14日閲覧
- ^ 胃がんがくれた"余生"を歌う消化器のひろば No.8、2016年春号、2024年4月14日閲覧
- ^ 『現代』36(7)、2002年、pp. 234-235
- ^ 小椋佳『もういいかい まあだだよ』双葉社、2021年
- ^ “デビュー50年、芸能界引退へ 歌手・小椋佳さん 喜寿の「鬼」、世のウソ探す人生”. 毎日新聞. 2021年7月27日閲覧。
- ^ “鑑賞眼 「シクラメンのかほり」小椋佳が最後のコンサート 「十分、生きた」”. 産経新聞. (2023年1月27日) 2023年12月9日閲覧。
- ^ 2023年1月の特集 | NHK番組発掘プロジェクト通信
- ^ いよいよ放送!『マルコ・ポーロの冒険』 | NHK番組発掘プロジェクト通信
- ^ 『女性自身』2015年6月23日号。
- ^ 福島県ホームページ - 組織別 - 平成18年12月1日
- ^ [1][リンク切れ]
- ^ “あゆみ”. 北塩原村. 2022年12月2日閲覧。
- ^ “歌磐梯新酒完成!”. 北塩原村「広報きたしおばら」2017・3 No.407. 2022年12月2日閲覧。
- ^ “「もういいかい」小椋佳“最後”の伝言 若手へ託した「まあだだよ」50周年の節目にアルバム同時発売”. 朝日新聞デジタル (2021年1月21日). 2021年12月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 小椋がセルフカバーした作品。
- ^ 中古レコード店Record Shop NAKA 2号店のツイート
- ^ あびこ市民の歌 - 我孫子市ホームページ
- ^ ハロプロ・オールスターズによる20周年記念シングルに前山田健一の提供曲(音楽ナタリー) - ナターシャ 2015年 8月 5日。
- ^ “林部智史と小椋佳のサプライズ“美声”デュエットに万雷の拍手”. 東京中日スポーツ (2021年7月21日). 2021年12月4日閲覧。
- ^ “ラジオ「Changeの瞬間~がんサバイバーストーリー」好評放送中 【随時更新】”. 日本対がん協会. 2023年5月8日閲覧。
固有名詞の分類
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