寄席 関連項目

寄席

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 21:30 UTC 版)

関連項目

外部リンク


注釈

  1. ^ 寄席小屋と呼ぶが、現在では新宿末広亭など一部を除き鉄筋鉄骨の建物である。
  2. ^ 定席寄席のうち、鈴本演芸場は原則として昼席と夜席の間に入れ替えが行われるほか、混雑が予想される興行(正月初席や余一会など)では入れ替え制がとられたり、前売により座席指定が行われることがある。鈴本は自社のチケットサイト、新宿末廣亭はチケットぴあによる前売販売が行われることもある。浅草・池袋は原則として前売販売は行われない(余一会など例外あり)。
  3. ^ 1900年代中期の東京の寄席における映画興行がp.71に一覧である。そこには現存する上野鈴本亭や、同時高名であった寄席が載っている。出典:上田学「寄席の映画興行における観客層」『日本映画草創期の興行と観客-東京と京都を中心に』早稲田大学出版部、2012年3月30日。p.67
  4. ^ 明治40年の桃中軒雲右衛門以来、浪曲がいち早く大劇場に進出した。
  5. ^ 昭和30年代半ばまで色濃く残っていたことは、宮崎学「ヤクザと芸能の世界」『ヤクザと日本』ちくま新書 p.112
  6. ^ デロレン祭文→上州祭文と思われる。
  7. ^ 現在の寄席は21時前後に終演する。新型コロナウイルス感染症拡大時はそれよりも早く終演したこともあった。
  8. ^ 吉本興業吉本せいが仕掛け人であったという。 出典:藤井宗哲『寄席 よもやま話』
  9. ^ 浅草木馬館は1976年までは安来節中心の常打ち小屋であった。
  10. ^ 職人の休日が1,15日の月2回から週休に変わったこと、それに合わせて当時勃興した活動写真が金曜入れ替えを実施したこと 出典:唯二郎『実録 浪曲史』P.23
  11. ^ 関西の吉田久菊が横浜の浪花節定席「寿亭」の倒壊に巻き込まれ客約二百名とともに死亡した。同席していた寿々木米若はかろうじて脱出した 出典:唯二郎『実録 浪曲史』P.30
  12. ^ このように呼ばれていた(落語・浪曲など複数の演目に亘る)
  13. ^ 前橋・静岡・甲府・金沢などが三遊亭圓生「寄席切絵図」にも登場する。
  14. ^ #権田p.276-279には大正10年と昭和4年の各道府県別の映画館、劇場、寄席、観物場の数の表が掲載されている。埼玉県と宮崎県、沖縄県以外はいずれかの時期で寄席はカウントされている。
  15. ^ 出演者の実力不足を見るや、2階席から小便をかけたという。出典:『浦安町誌(上)』、梅中軒鶯童『浪曲旅芸人』、三波春夫『歌芸の天地』、『実録 浪曲史』
  16. ^ 鈴本は「余一会」でもほぼ落語協会所属員のみの出演となっている。
  17. ^ 近い文献として三遊亭圓生『寄席切絵図』、全国の都府県別集計データとして権田保之助『民衆娯楽論』がある。
  18. ^ 市川市真間に存在したという記述を見かけるが誤りである。

出典

  1. ^ 演芸場とは何? Weblio辞書”. www.weblio.jp. 2021年11月10日閲覧。
  2. ^ a b 「江戸の遊び~けっこう楽しいエコレジャ~」を巡る話題から(3)みるきく楽しみ横山美佳、東北大学附属図書館報、Vol. 32, No.1 2007
  3. ^ 権田保之助「民衆娯楽論」『権田保之助著作集 第2巻』
  4. ^ 一般社団法人落語協会. “寄席ってなあに?”. 2014年2月26日閲覧。
  5. ^ 上田学『日本映画草創期の興行と観客』早稲田大学出版部、2012年3月30日。
  6. ^ #権田p.282-283
  7. ^ 人が集まる場所という意味で、人足寄場と同様の用法である
  8. ^ 加藤秀俊「現代の寄席」『日本の古典芸能 9 寄席』
  9. ^ 参考:東京府寄席取締規則
  10. ^ 1873年(明治6年)9月13日 東京府、寄席取締につき指令。出典:小木新造『東亰時代』巻末年表
  11. ^ 1882(明治15年)2月 劇場取締規則公布 警察官、寄席に臨席開始。出典:倉田喜弘『明治・大正の民衆娯楽』巻末年表。
  12. ^ 復刻版付録「『東京案内』について」国会図書館司書・朝倉治彦
  13. ^ 上巻P.337~334
  14. ^ 同種のものに『東京百年史』に記載の1916年の寄席関係の数字
  15. ^ 出典:芸能史研究会編『日本芸能史7』
  16. ^ なお、この他の参考書籍として、三遊亭圓生(著) 山本 進(編集)『寄席切絵図』 isbn=9784790501541 がある。
  17. ^ 三遊亭圓生『寄席切絵図』
  18. ^ 横浜にぎわい座 ご利用の手引き(pdf)
  19. ^ 中日新聞社 (2014年2月3日). “大須演芸場に強制執行 賃料滞納で建物明け渡し”. 2014年2月26日閲覧。
  20. ^ 日本経済新聞社 (2014年4月26日). “名古屋の大須演芸場、年内再開へ 建て替えず耐震補強”. 2015年11月22日閲覧。
  21. ^ 日刊スポーツ新聞社 (2015年9月21日). “大須演芸場が再開 桂文枝ら東西人気落語家がお練り”. 2015年11月22日閲覧。
  22. ^ “特集・神戸新開地喜楽館 桂文之助さん「実力ある若手をトリに」 喜楽館に若年ファン期待”. 神戸新聞. (2018年6月30日). https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/kirakukan/201806/0011402220.shtml 2019年1月1日閲覧。 
  23. ^ “落語家ら50人がパレード 神戸・新開地「喜楽館」がオープン/兵庫県”. サンテレビジョン. (2018年7月11日). http://sun-tv.co.jp/suntvnews/news/2018/07/11/1965/ 2019年1月1日閲覧。 
  24. ^ 狸寄席の会”. 狸小路に常設演芸場を作る会. 2019年9月21日閲覧。
  25. ^ 落語:「とにかく笑って…」仙台に常設寄席「花座」開場へ - 毎日新聞
  26. ^ a b いよっ待ってました!仙台・常設寄席「花座」開館 | 河北新報オンラインニュース
  27. ^ らくごカフェ10周年記念 平成最後の武道館落語公演”. サンライズプロモーション東京. 2019年6月20日閲覧。
  28. ^ 佐藤友美『東京かわら版 平成25年1月号 在小屋則在噺(10)』東京かわら版、2012年12月28日、23頁。 
  29. ^ 徳丸 三凱亭”. 2020年11月18日閲覧。
  30. ^ 飯田達哉 酔いどれ師匠の酒場探訪 (2017年11月20日). “落語の後もお楽しみ 演者囲んで打ち上げOKな「道楽亭Ryu’S Bar」(東京・新宿二丁目)”. ZAKZAK. 2019年8月15日閲覧。
  31. ^ 道楽亭. “定席だけじゃあない!新宿の演芸場「道楽亭」存続のためご支援を”. READYFOR. 2022年1月6日閲覧。
  32. ^ 末吉陽子 (2020年2月18日). “25歳から運用した700万円を開店資金に! 落語×小料理屋「やきもち」の女将・中田志保さん”. Calq. ブログ. 株式会社エフアンドエム. 2022年3月14日閲覧。
  33. ^ 中田 志保 様のインタビュー”. 銀座セカンドライフ株式会社 アントレサロン. 2022年9月11日閲覧。
  34. ^ 井上雅史. “vol.3『サラリーマン最後の日』file003 西島瑞夫さん 1951年生まれ [印刷業界]”. 新・生き方辞典 特別編. BABA lab. 2021年10月5日閲覧。
  35. ^ にっぽり館公式ホームページ”. 2019年8月11日閲覧。
  36. ^ はなし処公式ホームページ”. 2019年8月11日閲覧。
  37. ^ 峰田順一 (2020年7月7日). “落語をもっと身近に。50人ホール×1日1組限定ゲストハウス誕生!”. readyfor. 2022年1月11日閲覧。
  38. ^ 水戸に笑いを 宮下銀座に寄席小屋常設 9月 地元商業者”. 茨城新聞 (2022年6月10日). 2022年8月23日閲覧。
  39. ^ 小田けんじ (2023年2月19日). “JR楯山駅の近くに落語のための小演芸場を作りました”. 選挙ドットコム. 小田けんじブログ. 2023年2月20日閲覧。
  40. ^ 東奥日報社「十和田に落語の演芸場 21日プレオープン」『なびたび北東北』、2023年3月18日。
  41. ^ 「明治から昭和期の全国の演芸場の一覧およびその写真が掲載されている資料を紹介してほしい。」(国立国会図書館) - レファレンス協同データベース
  42. ^ a b 「年表」『本牧亭の灯は消えず―席亭・石井英子一代記』300頁。
  43. ^ 六代目三遊亭圓生『寄席切絵図』32 - 33頁。
  44. ^ 六代目三遊亭圓生『寄席切絵図』68 - 72頁。
  45. ^ 六代目三遊亭圓生『寄席切絵図』155 - 158頁。Kissポート:港区探訪:人の温もりが残る街-麻布十番-2017年9月10日閲覧。「麻布十番の歴史」『麻布十番未知案内』2017年9月10日閲覧。
  46. ^ 北村銀太郎・冨田均 『聞書き・寄席末広亭』平凡社ライブラリー 、2001年、79頁。
  47. ^ 六代目三遊亭圓生『寄席切絵図』275 - 276頁。
  48. ^ 「らもの墓石は?」『粗忽長屋の隙間風』2005-3-262017年9月24日閲覧。新三河島駅周辺の旧町名は三河島町・尾久町・日暮里町だが(荒川区の町名#新旧町名対照表参照)、2005年当時南千住図書館で開催された企画展「平成16年度荒川ふるさと文化企画展 あらかわと寄席」のパンフレットの写しが掲載されており、以下引用 三河島(現荒川)のまつみ亭 引用終了。とある。
  49. ^ a b 「その三 昔の噺家・今の寄席」『現代落語論』167 - 194頁。
  50. ^ facebook噺家の手ぬぐい2017年9月9日閲覧。「23.山の手まわり」『小金井芦州啖呵を切る 2007年 06月 14日 』2017年9月10日閲覧。毎日新聞ニュース・情報サイト 2017年4月29日付 三遊亭圓歌さん 追悼 山の彼方で微笑む「小さな巨人」2017年9月10日閲覧。
  51. ^ 特定非営利活動法人粋と縁 「◆杉山六郎氏 コツ通り一口話Ⅰ 第12回 遊郭と映画撮影所」2017年9月24日閲覧。
  52. ^ 「【西条昇の演芸コレクション】昭和32年の漫才研究会の挨拶状と南千住・栗友亭のプログラム 」『西条昇の観て、笑って、飲んで、食べて、踊って日記』2017-05-262017年9月23日閲覧。
  53. ^ ACCほっとタウンNo.338 第246回 三遊亭歌る多2017年9月23日閲覧。
  54. ^ みつ梅(@mitsuume) (2019年11月13日). “南千住にあった浪曲寄席の栗友亭の建物が今も残っております。”. twitter. 2020年6月4日閲覧。
  55. ^ え の き ど い ち ろ う(@ichiroenokido) (2020年4月15日). “久々に南千住コツ通りを歩いたら「栗友亭」跡が取り壊される寸前だった。”. twitter. 2020年6月4日閲覧。
  56. ^ 川村咲平 (2021年1月9日). “駆け出し時代のケーシー高峰、内海桂子・好江…「東京漫才発祥の地」栗友亭が姿消す”. 毎日新聞. https://mainichi.jp/articles/20210108/k00/00m/040/296000c 
  57. ^ 春日三球 - 漫才協会2017年9月24日閲覧。
  58. ^ 「大正十五年十一月現在 東京演藝場組合員名簿」#圓生290頁。名簿によれば当時の住所は京橋区新富町二ノ一。
  59. ^ #圓生51 - 55頁。
  60. ^ 平塚竹田組2020年11月7日閲覧。
  61. ^ #圓生51 - 55頁、#石井244頁。
  62. ^ 「大正十五年十一月現在 東京演藝場組合員名簿」#圓生290頁や「昭和20年 一月二十二日(月)」#瀧口218頁には「千住館」としてあり、終戦直後の東京の演芸場について言及した#石井244頁では「千住会館」としてある。記述を信用するならば戦時中まで「千住館」と称し、戦後「千住会館」とした可能性も考えられる。
  63. ^ 寄席興行が盛んだった時代、その世界で中心をなさなかった場末あるいは小規模な演芸場のこと。該当する寄席を軽んじるニュアンスを含んでおり、定席の件数自体が減少した昨今ではほぼ使われない用語。
  64. ^ #石井244頁、#瀧口218頁。
  65. ^ 戦災からの復興と千住の映画館2020年11月7日閲覧。のwebアーカイブ。
  66. ^ 「談志楽屋噺 虚々実々年表」『落語ファン倶楽部Vol.16』91頁。
  67. ^ 立川談四楼vs立川ぜん馬「沖縄政務次官クビ事件」『談志が死んだ 立川流はだれが継ぐ』84頁。
  68. ^ 立川ぜん馬「談志落語の三十年」『談志が死んだ 立川流はだれが継ぐ』312頁。
  69. ^ 「講談定席の誕生」『本牧亭の灯は消えず 席亭・石井英子一代記』103 - 105頁。
  70. ^ 新・参考業務月報” (pdf). 市川市図書館. 市川市中央図書館 (2015年6月). 2020年8月4日閲覧。 “市川にあった演芸場について調べている。正岡容などが出入りしていた「市川鈴本」等について書かれた資料を見たい。”
  71. ^ 市川市文学プラザ『昭和の市川に暮らした作家』p.60
  72. ^ 「臨終・川崎演芸場」『落語美学』200-207頁。
  73. ^ a b #圓生213頁。
  74. ^ 相鉄グループ100年史』、352頁、 相鉄ホールディングス 、2020年10月閲覧。
  75. ^ 日暮里中央支店. “にぽちゅう 地域情報プラットフォーム”. 城北信用金庫. 2022年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月5日閲覧。
  76. ^ 牛若丸. “祝「ゆにおん本」刊行。”. ameba blog. 2022年10月12日閲覧。
  77. ^ 自主盤倶楽部とミュージック・テイト 閉店と移転をそれぞれ発表”. 新宿ニュースblog (2023年7月25日). 2023年8月23日閲覧。
  78. ^ ミュージック・テイト西新宿店・落語くらぶ(@music_teito) (2023年8月21日). “https://twitter.com/music_teito/status/1693399062903656570”. X(twitter). 2023年8月23日閲覧。 “この度ミュージックテイトは、やむを得ず事業を終了し、以降破産手続にて会社を閉じることとなりました。昨年クラファンでご支援頂いた方々、お得意様、関係各位様、大変申し訳ございません。コロナ禍での負債が大きく、これ以上の事業の継続は困難との判断です。続”
  79. ^ 老舗レコード店「帝都無線」から会社分割した「ミュージック・テイト」が破産”. M&A Online. 株式会社ストライク. 2023年9月10日閲覧。
  80. ^ #川戸69 - 72頁。
  81. ^ a b c 沢井鈴一の「名古屋広小路ものがたり」第6講 戦後の広小路 第5回「広小路にあった笑いの殿堂」2020年11月1日閲覧。のweb魚拓。
  82. ^ 「【西条昇の演芸コレクション】昭和20年代の名古屋の演芸場・冨士劇場のプログラム」『西条昇ブログ お笑いエンタメ人生!』2020年10月31日閲覧。
  83. ^ #川戸69 - 72頁。8代目桂文楽は自身の看板の扱いを一見して出演はおろか顔すら出さず帰り、5代目古今亭今輔は二度と出演しない旨の置手紙をした。名古屋在住の初代雷門福助も地元興行界の顔役からの口利きでも「看板が違うと今後の商売に差し支えるから」と出演を断り、無用なトラブルを避けるためにもわからない事は自分に相談して来るように申し入れした。
  84. ^ 「名古屋市中村区の映画館」『消えた映画館の記憶』2020年10月31日閲覧。のweb魚拓。
  85. ^ 劇場閉館のお知らせ”. 吉本興業. 2019年12月14日閲覧。
  86. ^ 戸田学『上方落語の戦後史』岩波書店、2014年7月30日、377-379頁。ISBN 9784000259873 
  87. ^ 桂春若 (2020年8月1日). “⑦神戸柳笑亭、その1~師匠三代目桂春団治と見た風景~”. 寄席つむぎ. 藤川陽子. 2020年8月4日閲覧。
  88. ^ もとまち寄席 恋雅亭”. 桂春駒. 2020年8月4日閲覧。
  89. ^ 地域文化の振興を担ってきた 元町三丁目商店街 神戸凮月堂 「もとまち寄席 恋雅亭」”. 元町三丁目ブログ. 元町三丁目商店街 (2020年3月2日). 2020年8月4日閲覧。[リンク切れ]
  90. ^ 大阪最古の地域寄席「田辺寄席」会員減で存続危機…800回記念公演もピンチ」『産経新聞』、2017年5月26日。
  91. ^ 田辺寄席'@tanabeyose). “田辺寄席”. twitter. 2023年2月21日閲覧。
  92. ^ 渋谷幸久、谷口豪「大阪最古の地域寄席、49年間の歴史に幕 「田辺寄席」3月で終了」『毎日新聞』、2023年2月20日。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「寄席」の関連用語

1
100% |||||

2
100% |||||

3
100% |||||

4
100% |||||

5
100% |||||

6
100% |||||

7
100% |||||

8
100% |||||

9
100% |||||

10
100% |||||

寄席のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



寄席のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの寄席 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS