権田保之助とは? わかりやすく解説

権田保之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/13 00:07 UTC 版)

権田 保之助(ごんだ やすのすけ、1887年明治20年)5月17日 - 1951年昭和26年)1月5日)は、日本の社会学者

来歴・概要

東京生まれ。明治32年早稲田中学に入学。東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。1921年大原社会問題研究所に入る。1924年にヨーロッパに渡る。のちに日本大学講師、文部省の委託を受けて各地の都市研究に従事する。

1919年(大正8年)に実施した、小額俸給生活者の家計調査は有名。また同時期、京都映画監督で、「日本映画の父」として知られる牧野省三が設立した「教育映画」の製作会社「ミカド商会」、ならびに「牧野教育映画製作所」に対し、同社の顧問となった文部省の星野辰男(保篠龍緒)とともに協力する[1]

映画と教育の問題に興味を持つと同時に、大正期の浅草公園六区に花開いた「浅草オペラ」に関心を抱き、『浅草の民衆娯楽』を著し、これは『民衆娯楽問題』に収録された。

1951年(昭和26年)1月5日に死去。63歳没。

ドイツ語翻訳者としての顔

ドイツ語の学力については、周囲が「ドイツ語の事でわからない事があったら、権田に訊け」というくらい定評があった。社会学者でありながら「独和対訳小品文庫 第三冊『ルパン探偵譚』権田保之助訳注 有朋堂1929」といった書物を出している。改造社に対抗して、岩波書店、弘文堂、同人社などが企画したいわゆる五社連盟版『マルクス・エンゲルス全集』にも責任者の一人として名前が挙げられている。

著作

単著

編訳等

翻訳

共訳

共編

  • 『袖珍独和辞典』(三浦吉兵衛・権田保之助共編)有朋堂、1919年11月。 
  • 『袖珍独和辞典』(エミール・ユンケル・権田保之助共編)有朋堂、1919年11月。全国書誌番号:48014536 

著作集

文和書房

  • 『民衆娯楽問題・民衆娯楽の基調』文和書房〈権田保之助著作集 第1巻〉、1974年12月。全国書誌番号:75044406 
  • 『娯楽業者の群・民衆娯楽論』文和書房〈権田保之助著作集 第2巻〉、1974年12月。全国書誌番号:75044407 
  • 『国民娯楽の問題・娯楽教育の研究』文和書房〈権田保之助著作集 第3巻〉、1975年4月。全国書誌番号:75044408 
  • 『主要論文』文和書房〈権田保之助著作集 第4巻〉、1975年6月。全国書誌番号:75044409 

学術出版会

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 朝倉徹「活動写真が教育的文脈において語られるようになる背景2 谷崎潤一郎による弁士批判に隠れた「映画性」と「教育映画」の関係」『教育學雑誌』第34巻、日本大学教育学会、2000年3月31日、 140-150頁、 doi:10.20554/nihondaigakukyouikugakkai.34.0_140NAID 110009877811

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