大正デモクラシー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 23:16 UTC 版)
後世の評価
大正デモクラシーは戦後民主主義を形成する遺産として大きな意味を持ったと指摘する論者もライシャワーをはじめ数多い[6]。また、石橋湛山は自著『大正時代の真評価』において大正時代を「デモクラシーの発展史上特筆大書すべき新時期」と評価している。
太平洋戦争末期の1945年7月に、連合国から大日本帝国に対して提示されたポツダム宣言が第10条で「日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべき」と言及しており、萌芽はこの当時既にあったことを記す内容となっている。
一方で、「『国民』の意見や要求が排外的になった、そのゆえにあらたな方向に舵を取り、ファシズムという事態に入り込んでいった」(成田龍一)など1920年代と1930年代の連続性を強調する説もある[3]。
「デモクラシー」という言葉は当時実際に流行したものであるが、「大正デモクラシー」という名称は、歴史学者の信夫清三郎(信夫淳平三男)が1954年(昭和29年)に自著『大正デモクラシー史』でその呼称を提唱して以来、定着した語である。その定義や内容も曖昧であることや、大正年間が始まる前からの動きであると見る点から、江口圭一、井上清、伊藤隆などこの語句を不適当であると否定する歴史家も存在する。
この時代の思想を基本とする保守派知識人達(具体的人物は吉田茂、岡崎久彦)は戦後世代から「オールドリベラリスト」(古典的自由主義者)と呼ばれる。
参考文献
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- 太田雅夫『増補 大正デモクラシー研究-知識人の思想と運動』、新泉社、平成2年(1990年)5月
- 鈴木正節『大正デモクラシーの群像』、雄山閣、昭和58年(1983年)2月
- 住谷悦治ほか編『大正デモクラシーの思想』(『講座・日本社会思想史』2)、芳賀書店、昭和42年(1967年)1月
- 松尾尊兊 『大正デモクラシーの研究』(『歴史学研究叢書』)、青木書店、昭和41年(1966年)6月
- 松尾尊兊 『大正デモクラシー』(『同時代ライブラリー』184)、岩波書店、平成6年(1994年)5月
- 坂本多加雄『近代日本精神史』、平成17年(2005年)
- 今井清一『日本の歴史〈23〉大正デモクラシー』、平成18年(2006年)
関連項目
- ^ 大正デモクラシー|国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典|ジャパンナレッジ
- ^ 日本を暗黒の時代に突き落とした関東大震災から96年(福和伸夫) - エキスパート - Yahoo!ニュース
- ^ a b c d e 「大正デモクラシー」はどうして戦争を止められなかったのか/成田龍一氏インタビュー - SYNODOS
- ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 13ページ
- ^ 雨宮, 史樹「「大正デモクラシー」期における知識人の社会的視野 -大衆社会化論の批判的再検討-」2019年1月1日。
- ^ 「占領1945~1952 戦後日本をつくりあげた8人のアメリカ人」、ハワード・ショーンバーガー 著、宮崎 章 訳、時事通信社、1994年、11~13ページ
大正デモクラシーと同じ種類の言葉
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