右城暮石 右城暮石の概要

右城暮石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/13 23:40 UTC 版)

生涯

長岡郡本山町字古田小字暮石(くれいし)に生まれる。本名は齊(いつき)で、俳号の暮石は出身地の小字の名に因む。

木能津尋常小学校から本山高等小学校に入り、1913年、中退し土佐電鉄に入社。1918年、社会運動家の岡本利吉の世話で、大阪電灯に入社。1920年大阪朝日新聞社の俳句大会で松瀬青々を知り、青々の主宰誌「倦鳥」(けんちょう)に入会。1935年頃には古屋秀雄、細見綾子とともに「倦鳥」の若手三羽烏と呼ばれた。1938年大阪から奈良県に移住、晩年郷里へ戻るまで、奈良に住み、奈良を愛した。1946年」「青垣」同人。1947年西東三鬼の紹介で日吉館句会のメンバーとなる。。1949年、「風」を退会し「天狼」同人。1952年、「筐」(かたみ)を創刊、富雄句会の会報誌であった。1956年、「筐」を「運河」に改題し主宰となる。

1964年、第5回スバル賞(「天狼」同人賞)受賞。1971年、第二句集『上下』他で第5回蛇笏賞受賞。1990年、「運河」主宰を茨木和生に譲り、1992年4月、92歳で高知県の生地に帰郷した。

「いつからの一匹なるや水馬」「散歩圏伸ばして河鹿鳴くところ」など、穏やかな目線で小動物を扱った句が多い。「散歩圏」の句は帰郷してのちの晩年の句である。

2003年、第一句集『声と声』から第六句集『散歩圏』にその補遺『頑張れよ』および句集未収録作品を加えた『定本右城暮石全句集』(茨木和生監修、邑書林)が刊行された。

また、茨木和生藤本安騎生の二人の俳人協会賞作家を育てた。

顕彰

出身の本山町では、町立大原富枝文学館を中心に、愛弟子・茨木和生の助力を得つつ、右城暮石の顕彰に注力している。

  1. 俳句の道=町内に、1993年から2003年の11年間で、暮石句碑2基を含む20基の句碑が建立され、散策コース「俳句の道」として整備された。
  2. 特別展示(企画展)=文学館のリニューアルオープン(2018年4月)以来、「右城暮石展 古里がそのまま人に。」(2019年4月〜5月)、「俳句の道展『青々と暮石』」(2020年4月〜8月)、「開館30周年記念企画 俳句の道展『誓子と暮石』」(2021年4月〜7月)が開催されている。(2021年4月判明分)
  3. 右城暮石顕彰吉野川全国俳句大会は、2021年で28回を数え、最高賞は暮石の号を冠せて「右城暮石賞」と名付けられている。

句集

  • 『声と声』(1959年、近藤書店)
  • 『上下』(1970年、運河俳句会)
  • 『虻峠』(1981年、角川書店
  • 『天水』(1985年、運河俳句会)
  • 『定本上下』(1986年、四季出版)
  • 『一芸』(1989年、富士見書房)
  • 『散歩圏』(1994年、角川書店)
  • 『定本右城暮石全句集』(2003年、邑書林)
  • 『自註現代俳句シリーズ・Ⅱ期4 右城暮石集』(1979年、俳人協会)

句碑

  • 天の神地の神々に植田澄む(1979年、御所市高鴨神社)
  • 上げ馬をあげしどよめき多度祭(1985年、桑名郡多度神社)
  • 鷹舞へり青嶺に隠れ現れて(1987年、東吉野村・旅館天好園)
  • 八十年ぶりふるさとの螢の火(1993年、高知県本山町、俳句の道)
  • いつからの一匹なるや水馬・天上へ赤消え去りし曼珠沙華(一石二句、1996年、高知県本山町、俳句の道)



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