古瀬戸様式
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古瀬戸後期様式
後期様式は井上編年の窖窯Ⅳ期にほぼ相当し、滋賀県野洲市吉地薬師堂遺跡で至徳4年(1387年)の墨書銘のある灰釉直縁大皿(後Ⅱ期)が出土していることから14世紀後半から開始されると考えられる。平碗は口径15cm強、器高7cm前後から新しくなるにつれて扁平となり口径17cm弱、器高5.5cm前後になる。この傾向は、後Ⅰ期から出現する小鉢や浅碗も同じで、浅碗は口径13cm、器高4.5cm前後だったのが口径11cm、器高4cm前後のつぶれた形になる。小鉢も口径10cm前後と変わらないが、器高は5cm前後から3cm弱までつぶれた形に変化する。天目茶碗は後期後半、すなわち15世紀中葉に高台の内面がくぼんだ内列高台のみとなる。碗類は全体として後Ⅱ期くらいから付け高台から削り出し高台へ移行する。
関連項目
参考文献
- 井上喜久男『尾張陶磁』ニューサイエンス社、1992年 ISBN 4-8216-0391-8
- 藤澤良祐「古瀬戸」、中世土器研究会編『概説 中世の土器・陶磁器』所収、真陽社、1995年
外部リンク
- ^ 楢崎彰一『日本の陶磁・古代中世編2』中央公論社,1975年を踏襲しつつ、大窯期を除く4期を窖窯(あながま)I - IV期とした。井上1992など。
- ^ 1996年に実施された(財)瀬戸市埋文センター設立5周年記念シンポジウム『古瀬戸をめぐる中世陶器の世界』が契機になっているとおもわれる。
- ^ 「あながま」と読む。通常「あな窯」と呼ばれ、しばしば「穴窯」とも表記されることがあるが、考古学で連房式登窯や龍窯以外の斜面を利用した単室の窯をこの表記で呼ぶ。特に須恵器を焼成する窯であることを強調する場合は、須恵器窯と呼ぶ。登り窯も参照。
- ^ 鎌倉国宝館編・発行『覚園寺 開山智海心慧七百年忌記念』(特別展図録)、2005年
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- 2 古瀬戸様式の概要
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