古瀬戸後期様式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 08:14 UTC 版)
後期様式は井上編年の窖窯Ⅳ期にほぼ相当し、滋賀県野洲市吉地薬師堂遺跡で至徳4年(1387年)の墨書銘のある灰釉直縁大皿(後Ⅱ期)が出土していることから14世紀後半から開始されると考えられる。平碗は口径15cm強、器高7cm前後から新しくなるにつれて扁平となり口径17cm弱、器高5.5cm前後になる。この傾向は、後Ⅰ期から出現する小鉢や浅碗も同じで、浅碗は口径13cm、器高4.5cm前後だったのが口径11cm、器高4cm前後のつぶれた形になる。小鉢も口径10cm前後と変わらないが、器高は5cm前後から3cm弱までつぶれた形に変化する。天目茶碗は後期後半、すなわち15世紀中葉に高台の内面がくぼんだ内列高台のみとなる。碗類は全体として後Ⅱ期くらいから付け高台から削り出し高台へ移行する。
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