古代ギリシア医学
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ガレノス
クラウディオス・ガレノス(クラウディウス・ガレヌス、またはアエリウス・ガレヌスとも)は、ローマ帝国の著名なギリシア人医師、外科医、哲学者であった[36][37][38]。ガレノスは古代の医学研究者のなかでおそらくもっとも優れた人物であり、解剖学[39]・生理学・病理学[40]・薬理学[41]・神経学、ならびに哲学[42]や論理学を含む、さまざまな科学分野の発展に影響を与えた。
ガレノスは、学問に関心を持つ裕福な建築家アエリウス・ニコンの息子として、医師としてまた哲学者として成功する素地となる包括的な教育を受けた。ペルガモン(現在のトルコのベルガマ)に生まれたガレノスは、広範囲を旅してさまざまな医学の理論や発見に触れたのちローマに定住し、そこでローマ社交界の著名人たちに仕え、最終的には数人の皇帝たちの専属医の地位を与えられた。
ガレノスの解剖学と医学の理解は、ヒポクラテスなどの古代ギリシアの医師が提唱し、当時主流であった体液の理論から主たる影響を受けていた。彼の理論は1300年以上にわたって西洋医学を支配し、影響を与えた。主にサル、とくにバーバリーマカクと、ブタの解剖に基づいた彼の解剖学的報告は、1543年にアンドレアス・ヴェサリウスの代表的な著作『人体の構造について』(De humani corporis fabrica)[43][44]において人間の解剖の印刷された記述と図版が公刊され、ガレノスの生理学的理論がこれらの新しい観察に適用されるまで、議論の余地のないままであった[45]。ガレノスの循環系についての生理学理論は、1628年にウィリアム・ハーヴェイが『心臓の動きについて』(De motu cordis) という論考を発表し、心臓がポンプの役割を果たし血液が循環していることを立証するまで存続した[46][47]。医学生たちはじつに19世紀に至るまでガレノスの著作を勉強しつづけた。ガレノスは多くの神経結紮実験を行い、脳が脳神経系と末梢神経系によって筋肉のすべての運動を制御しているという、今日でも受けいれられている理論を支持した[48]。
ガレノスがみずからを医師であると同時に哲学者であると考えていたことは、『最良の医師は哲学者でもある』と題する論文に記されたとおりである[49][50][51]。ガレノスは合理主義と経験主義という医学の学派間の論争に大きな関心を寄せており[52]、彼の直接観察・解剖・生体解剖の使用は、これら2つの視点の両極端のあいだの錯綜した中間的立場を表している[53][54][55]。
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