古代ギリシア医学 古代ギリシア医学の概要

古代ギリシア医学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 05:25 UTC 版)

患者を診察する医師(軟膏壺に描かれたアッティカの赤絵、紀元前480–470年)。

概要

古代ギリシア医学では、肉体的なものと精神的なものとが絡められながら、多くの要素が考慮されていた。具体的には、古代ギリシア人は、健康は体液、地理的位置、社会階級、食事、外傷、信念、考えかたに影響されると考えていた。

初期には古代ギリシア人は、病気は「神の罰」であり、治癒は「神々からの贈り物」であると信じていた[1]。しかし、試行錯誤が続き、理論が症状や結果と照らしあわされていくうちに、「罰」や「贈り物」に関する純粋な精神的信念は、物理的な、すなわち原因と結果に基づいた基盤に取って代わられた。

古代ギリシアの医学は、体液理論(四体液説)を中心に展開されるようになった。体液理論は血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁について述べている。4つの体液のそれぞれは、器官・気質・季節・元素に結びつけられていた[2]。体液理論によれば、健康は血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁という4つの体液の完全な均衡によってもたらされるとされており、したがって、健康が損なわれるのは、4つの体液の均衡が崩れていることから結果する。

また、病気や治療法は男性に対すると女性に対するとで異なるものがあるということで、医療において性別が役割を果たすことが理論上想定されていた。さらに、地理的位置や社会階級は、人々の生活条件に影響を与え、蚊やネズミ、清潔な飲料水の利用可否といった、さまざまな環境的要因に人々を従属させる可能性があった。食生活も同様に問題と考えられており、適切な栄養を得ることができないことで影響を及ぼす可能性があった。剣闘士が犬に噛まれるなどして負った外傷は、解剖学や感染症の理解に関連して理論上に一役買っていた。さらに、診断や治療の理論において、患者の信念や考えかたに重要な焦点があった。心が治癒に関与していること、あるいはそれが病気の唯一の原因でさえありうることも認識されていた[3]

「近代医学の父」として知られるヒポクラテス[4]コス島に医学校を設立し、古代ギリシア医学のもっとも重要な人物である[5]。ヒポクラテスとその弟子たちは、数多くの病気を『ヒポクラテス集成』に記録し、今日でも使われている医師のための「ヒポクラテスの誓い」を練りあげた。彼とその弟子たちはまた、今日の私たちの語彙の一部である医学用語も生みだした。急性、慢性、流行病、増悪、再発などがそれである[2]。 ヒポクラテスやソクラテス[誰?]らの古代ギリシア医学への貢献は、イスラム医学や中世ヨーロッパ医学に持続的な影響を与え、ついに14世紀に彼らの発見の多くが時代遅れとなるまでそれは続いた。

知られているギリシア最古の医学校は紀元前700年クニドスに開校した[疑問点]。最初の解剖学書を編んだアルクマイオン[6]はこの学校で働いており、患者を観察する実践が確立されたのはここにおいてである。彼らの古代エジプト医学に対する尊敬は知られているものの、この初期の時代のギリシア医学に対するなんらか特別な影響を識別しようとする試みは、資料の不足と古代の医学用語の理解の困難さゆえに劇的な成功を収めてはいない。 しかしながら、ギリシア人がエジプト産の物質を自分たちの薬局方に取りこんでいたことは明らかであり、その影響はアレクサンドリアにギリシア医学の学校が設立されて以来いっそう顕著になった[7]

アスクレピエイオン(アスクレピオス神殿)

アスクレピオスの杖
コス島にあるアスクレピエイオンの外観。これはもっともよく保存されたアスクレピエイオンの例である。

アスクレピオスは最初の医師として信奉され、神話ではアポロンの息子とされている。 医神アスクレピオスを祀る神殿はアスクレピエイオン(Ἀσκληπιεῖον, Asklēpieion; 複数形 Ἀσκληπιεῖα, Asklēpieia)と呼ばれ、医学的な助言や予後、治療の中心地として機能した[8]。これらの神殿で患者は、麻酔と似ていなくもない「エンコイメーシス」(ἐγκοίμησις, enkoimēsis) と呼ばれる夢のような誘導睡眠状態に入り、その夢のなかで神からの導きを受けたり、手術によって治療されたりしたのである[9]。アスクレピエイオンは、治療に導くために慎重に管理された空間を提供し、治療のために作られた施設に求められるいくつかの要件を満たしていた[8]

ペルガモンにあるアスクレピエイオンには、神殿の地下室に流れ落ちる泉があった。それには薬効があると信じられていたため、人々はその水を飲んだり沐浴したりするために訪れた。気を落ちつかせるために泥風呂やカモミールなどの温かいお茶が用いられたり、ペパーミントティーが頭痛を和らげるのに使われたりしたが、これらは今日でも多くの人が使っている家庭療法である。

患者たちは施設内で眠ることも奨励された。彼らの夢が医師たちによって解釈され、それから彼らの症状が検討された。ときには犬が連れてこられて、傷口を舐めさせて治療を助けることもあった。

エピダウロスのアスクレピエイオンには、紀元前350年に年代づけられる3枚の大きな大理石のボードがあり、それには問題を抱えて神殿にやってきてそこでそれを解決してもらった約70人の患者の名前・病歴・訴え・治療法が保存されている。腹部膿瘍の排膿や外傷性異物の除去など、挙げられている外科的治療法のいくつかは実際に行われたものとして十分に現実的だが、患者はアヘンなどの催眠物質の助けを借りて導入されたエンコイメーシスの状態にあった[9]

アスクレピオスの杖は、今日に至るまで医学の普遍的なシンボルである。しかし、ヘルメス神の振るった杖であるケーリュケイオン(カドゥケウス)としばしば混同されている。ケーリュケイオンが2匹の蛇と、ヘルメスの敏捷さを表現している1対の翼で表現されているのに対し、アスクレピオスの杖は1匹の蛇で翼はない。







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