博多 定義・名称

博多

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 09:47 UTC 版)

定義・名称

分類

現在「博多」と「福岡」は、特に九州外において同じ地域を指す地名として認識(誤認)されることが多く、福岡市や福岡都市圏のことを「博多」と呼び変えることも少なくない。これは市外の人にとっては博多駅が玄関口であることが多く、また博多弁博多ラーメンなど「博多」という名称が全国的に高い知名度を持つためである。一方で福岡市博多区内の一部地域は「博多」という地名以外に言い換えができないエリアがあり、福岡市内や近郊で使用した場合はこのエリアを指すことが多い。 こういった理由により、単に「博多」という言葉を用いた場合、その言葉が指し示す範囲には曖昧性・多義性があり、人により差異はあるものの、概ね以下のような類型で用いられる。

「博多」の定義(狭い範囲から列挙)
定義/名称 地図 説明
博多駅周辺 北緯33度35分24.8秒 東経130度25分16.4秒 JRの代表駅かつ、福岡市地下鉄の中心駅である同駅周辺に広がるCBDおよび繁華街。住所上は博多駅中央街博多駅前博多駅東博多駅南など。

なお博多駅は、1963年(昭和38年)に現在地に駅が移転する以前は、現在の祇園駅(祇園大通り)付近にあった。

博多部 博多区北西部の博多川(那珂川分流)と御笠川に挟まれた、旧来の町人町に該当する地域。博多川対岸の中洲地区を含めることもある[要出典]

南端は時代により変遷するが概ね1963年に移転前の博多駅(現在の祇園駅(副駅前:博多旧市街口)、祇園大通り)付近である。また、矢倉門は現在の博多警察署付近にあった。[5]

博多部周辺 博多部に、博多駅周辺・キャナルシティ博多周辺・博多埠頭および中央埠頭周辺・御笠川対岸の千代地区などを含めた博多区内の地域。[要出典]
博多区 地図 - Google マップ 福岡市の行政区の一つ
博多湾沿岸地域 黒田入国以前の、古代から中世における文献上の参照に多い。
福岡市 地図 - Google マップ
福岡都市圏 春日市大野城市那珂川市志免町新宮町糸島市など福岡市とその郊外も含めた呼称。
狭義の博多部の地図(2024年現在)(SVG形式のファイル
博多川
中洲地区

広義

続日本記」において、博多の町は「博多大津」と称された。博多にある大津、すなわち海上貿易都市である。そのため博多とは、羽の形をした湾に面する干潟、すなわち那珂川の西側エリア(福岡)を含めた博多湾の旧沿岸の全域を指したものである。現代でも博多は福岡市の別称として用いられることが多く、福岡市へ行く場合には「博多に行く」などと表現する場合がある。

狭義

狭義として、戦国時代には自治都市、江戸時代には商人の町として扱われた博多の旧市街を限定して「博多」と呼ぶことがある。この限定定義での地域は「博多部(はかたぶ)」と呼称される。地理的には博多区北西部の那珂川(博多川)と御笠川に挟まれた区域である。北西端は明治期の海岸線にほぼ相当する那の津通り近辺、南東端はかつて房州堀が存在した国体道路近辺となる部分で、教育行政の区画として全地域が博多小学校博多中学校校区に含まれる。地下鉄祇園駅呉服町駅中洲川端駅櫛田神社前駅一帯のエリアに相当し、現在の中心地区である博多駅(博多区博多駅中央街)周辺とは位置が異なる。

また、これに三笠川右岸の千代町を含めた部分は、複数町からなる「(ながれ)」を構成して博多祇園山笠博多松囃子などの伝統行事を受け継いでおり、博多を特徴付ける文化的共同体を形成している[注 1]。この博多部に対して、那珂川以西の旧城下町を福岡部(ふくおかぶ)とし、この両者を総称して福博(ふくはく)と呼ぶことにより、博多部の独自性に配慮して福岡市中心部を表現することがある。

1871年廃藩置県で福岡部が第一区、博多部が第二区となったあと、これを併せた第一大区が福岡区を経て1889年の市政執行時に福岡市となった。博多の地名は福岡市が政令指定都市に昇格した1972年に「博多区」という行政区名として復活したが、その区域は旧来の博多(狭義)から大幅に拡張されたものとなった。

NPO法人博多部まちづくり協議会では特に注釈なくこの狭義の「博多」(博多部)を用いている。また、『博多んもんの魂』など大庭宗一の著作ではこの狭義の意味でしか「博多」という言葉を用いていない。いっぽう現代では福岡市とその周辺において、単に「博多」や「博多にある」という表現を用いる場合は、都市機能が集積した博多駅周辺を中心とした博多区の限定的な地域の地名を指す場合が多い。


  1. ^ 中洲流千代流は、(博多区内ではあるが)狭義の「博多」の外へ、第二次大戦後に新設された流である。
  2. ^ 寺社排斥については、ルイス・フロイスの『日本史』にしか記述がないものの、『日本史』に記述されている博多における秀吉の動向に関する他の記事については、他史料によって確認できるために、その信憑性は高いと考えられている。
  3. ^ 福岡藩の儒学者貝原益軒の『筑前国続風土記』は1巻・2巻の「提要」ののち、3巻を「福岡」に、4巻を「博多」に当てており、また元禄3年(1690年)の住民数を福岡15009人・博多19468人と別々に記載している。福岡藩筆頭家老の家に伝わる文化9年(1812年)製の地図には、福岡(武士宅838軒・町人宅1629軒)と博多(町人宅3395軒)の戸数が区分され記載されている。
  4. ^ 江戸時代後期に書かれたとされる『佐藤元海九州紀行』には「都下(福岡)も富饒に見ゆ。博多とは、僅なる橋を隔てたる町続にて、両地の市を合すれば、二万余家も有べし。」とあり、文政10年(1827年)に書かれた紀行文『菅の下葉』には「中川とて大河あり。大橋二ツあり。中川橋と云。これを渡り、見附門あり。これより福岡なり。」ともあり、外からの旅行者も「博多」と「福岡」を別個と捉えていたことがうかがえる。
  5. ^ 石投げ地蔵の由来に、「筑前風土記に塩煮塚と記録される、古い歴史を持つものである」と記されている。
  6. ^ なお西鉄天神大牟田線の前身となる九州鉄道大牟田線(福岡 - 久留米)の開業は1924年大正13年)であり、それまで福岡市との都市間鉄道の窓口は博多駅だけであった。
  7. ^ 福岡市博多区の南端にあるJR九州の駅。
  8. ^ 春日市那珂川市との境界部分)にある、JR西日本博多南線の駅
  9. ^ 1989年に笑っていいとも!が福岡市内のイムズホール(天神に立地)で公開生放送をした時にタモリは博多からと表現した。(なお、タモリは地元福岡市出身である。)






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