博多 博多の概要

博多

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 09:31 UTC 版)

博多総鎮守櫛田神社

現代においては博多区の中心である博多駅周辺のエリアを指すことが多く、広義では福岡市自体を指すこともある。古くからの博多の市街地は博多部博多旧市街と呼ばれる[1][2]


  1. ^ 中洲流千代流は、(博多区内ではあるが)狭義の「博多」の外へ、第二次大戦後に新設された流である。
  2. ^ 寺社排斥については、ルイス・フロイスの『日本史』にしか記述がないものの、『日本史』に記述されている博多における秀吉の動向に関する他の記事については、他史料によって確認できるために、その信憑性は高いと考えられている。
  3. ^ 福岡藩の儒学者貝原益軒の『筑前国続風土記』は1巻・2巻の「提要」ののち、3巻を「福岡」に、4巻を「博多」に当てており、また元禄3年(1690年)の住民数を福岡15009人・博多19468人と別々に記載している。福岡藩筆頭家老の家に伝わる文化9年(1812年)製の地図には、福岡(武士宅838軒・町人宅1629軒)と博多(町人宅3395軒)の戸数が区分され記載されている。
  4. ^ 江戸時代後期に書かれたとされる『佐藤元海九州紀行』には「都下(福岡)も富饒に見ゆ。博多とは、僅なる橋を隔てたる町続にて、両地の市を合すれば、二万余家も有べし。」とあり、文政10年(1827年)に書かれた紀行文『菅の下葉』には「中川とて大河あり。大橋二ツあり。中川橋と云。これを渡り、見附門あり。これより福岡なり。」ともあり、外からの旅行者も「博多」と「福岡」を別個と捉えていたことがうかがえる。
  5. ^ 石投げ地蔵の由来に、「筑前風土記に塩煮塚と記録される、古い歴史を持つものである」と記されている。
  6. ^ なお西鉄天神大牟田線の前身となる九州鉄道大牟田線(福岡 - 久留米)の開業は1924年大正13年)であり、それまで福岡市との都市間鉄道の窓口は博多駅だけであった。
  7. ^ 福岡市博多区の南端にあるJR九州の駅。
  8. ^ 春日市那珂川市との境界部分)にある、JR西日本博多南線の駅
  9. ^ 1989年に笑っていいとも!が福岡市内のイムズホール(天神に立地)で公開生放送をした時にタモリは博多からと表現した。(なお、タモリは地元福岡市出身である。)






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