北条政子
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脚注
参考文献
- 石井進『中世武士団』吉川弘文館〈講談社学術文庫〉、1974年。ISBN 978-4062920698。
- 大藤修『日本人の姓・苗字・名前:人名に刻まれた歴史』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉、2012年。ISBN 978-4-642-05753-0。
- 呉座勇一『頼朝と義時 武家政権の誕生』講談社〈講談社現代新書〉、2021年。ISBN 978-4-06-526105-7。
- 五味文彦 著「はしがき」、五味文彦・本郷和人編 編『現代語訳吾妻鏡1:頼朝の挙兵』吉川弘文館、2007年。ISBN 978-4-642-02708-3。
- 坂井孝一『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』PHP研究所、2020年。ISBN 978-4569848280。
- 坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏 義時はいかに朝廷を乗り越えたか』NHK出版〈NHK出版新書)、2021年。ISBN 978-4-14-088661-8。
- 高橋秀樹『中世の家と性』山川出版社〈日本史リブレット20〉、2004年。
- 高橋秀樹編『新訂吾妻鏡四:頼朝将軍記4 頼家将軍記録』和泉書院、2020年。
- 田端泰子『北条政子 幕府を背負った尼御台』人文書院、2003年。
- 永井晋『鎌倉幕府の転換点 「吾妻鏡」を読みなおす』日本放送出版協会、2000年。ISBN 978-4-642-07108-6。
- 野村育代『北条政子 尼将軍の時代』吉川弘文館、2000年。
- 保立道久「院政期東国と流人・源頼朝の位置」『中世の国土高権と天皇・武家』NHK出版〈NHK出版新書)、2015年。ISBN 978-4-7517-4640-0。
- 本多浅治郎『日本歴史講義』 上巻(改訂増補8版)、金刺芳流堂、1913年。
- 山路彌吉『訳文大日本史』 第五冊、後楽書院、1912年。
- 山田孝雄『神皇正統記述義』民友社、1932年。
- 山本みなみ『史伝 北条義時 武家政権を確立した権力者の実像』小学館、2021年。ISBN 978-4093888455。
- 雄山閣編集局編『異説日本史:女性篇』 下、雄山閣、1932年。
- 渡邊幾治郎『皇國大日本史』朝日新聞社、1940年。
関連作品
- 評伝
- 海音寺潮五郎「北条政子」『悪人列伝2』文藝春秋〈文春文庫〉、1975年。 NCID BA79269783。全国書誌番号:75086857。
- 渡辺保『北条政子』吉川弘文館〈人物叢書〉、1985年。ISBN 4642050027。
- 関幸彦『北条政子:母が嘆きは浅からぬことに候』ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉、2004年。ISBN 4623039692。
- 小説
- 永井路子『北条政子』(角川文庫/文春文庫) - NETのドラマ『北条政子』、大河ドラマ『草燃える』の原作。
- 桜田晋也『尼将軍 北条政子』(角川書店、1991年)
- 高瀬千図『龍になった女:北条政子の真実』文蔵BOOKS、2015年。ASIN B0187NNEWC。
- 伊東潤『修羅の都』文藝春秋、2018年。ISBN 978-4-16-390775-8。
- 三田誠広『尼将軍』作品社、2021年。ISBN 978-4-86182-867-6。
- 映画
- テレビドラマ
- 『源義経』(1966年、NHK大河ドラマ) - 演:大塚道子
- 『北条政子』(1970年、NET) - 主演:佐久間良子
- 『新・平家物語』(1972年、NHK大河ドラマ) - 演:栗原小巻
- 『草燃える』(1979年、NHK大河ドラマ) - 主演:岩下志麻
- 『武蔵坊弁慶』 (1986年、NHK) - 演:神崎愛
- 『義経』(2005年、NHK大河ドラマ) - 演:財前直見
- 『平清盛』(2012年、NHK大河ドラマ) - 演:杏
- 『鎌倉殿の13人』(2022年、NHK大河ドラマ) - 演:小池栄子
- 『義経のスマホ』(2022年、NHK) - 演:瀧本美織
- 漫画
- 彫像
注釈
- ^ 坂井は当時の北条時政クラスの武士は側室は持たなかったと指摘した上で、祐親の娘が政子から時房までの子女を生んだ後に死去し、その後で時政は牧の方と再婚したとする見解を取っている[5]。
- ^ 真名本『曾我物語』巻三に「安元弐年丙申三月中半(なかば)のころより、兵衛佐殿は、北条の妃(ひめ)に浅からぬ御志に依て、夜々通はんとせし程に、姫君一人御在(おはしま)す(原文は漢文)」という記述がある[7]。通説では、「安元2年(1176年)3月」より、頼朝が政子の元に通い始めて、やがて姫君(大姫)が生まれたと解釈される[8][9]が、「安元2年(1176年)3月」は頼朝が政子に通い始めた結果、大姫が生まれた時期を指すとする解釈もある[10]。なお、後者の解釈によれば、伊東祐親が頼朝と政子の交際を知ったことが、頼朝と娘・八重姫を引き離して、2人の間の子である千鶴丸を殺害した直接の原因であったとしている[11]。
- ^ 頼朝や頼家・実朝もほとんどは「先武衛」や「将軍家」など、当時の地位を反映した通称で記述される。
- ^ ただし高橋は言及していないが、昭和7年(1932年)にも「北條政子[33]」表記を採る書籍がある。
出典
- ^ 永原慶二監修、貴志正造訳注『新版 全譯吾妻鏡 第二巻自卷第八至第十六』、新人物往来社、358頁(建久十年己未二月大)
- ^ “安養院 - 鎌倉市観光協会 | 時を楽しむ、旅がある。~鎌倉観光公式ガイド~”. www.trip-kamakura.com. 2024年1月30日閲覧
- ^ 坂井孝一 2021, p. 42-44.
- ^ 坂井孝一 2021, p. 48-51.
- ^ 坂井孝一 2021, p. 50-51.
- ^ 保立道久 2015, p. 311・313(系図).
- ^ 坂井孝一 2021, p. 90-91.
- ^ 坂井孝一 2021, p. 90-95.
- ^ 呉座勇一 2021, p. 26-27.
- ^ 保立道久 2015, p. 309-310.
- ^ 保立道久 2015, p. 307-315.
- ^ 山本みなみ 2021, p. 83.
- ^ 石井進 1974.
- ^ 坂井孝一 2020.
- ^ 永井晋 2000, p. 135-159.
- ^ a b 野村育代 2000, p. 7.
- ^ 高橋秀樹 2004, p. 1–4.
- ^ 吉海直人「北条政子」は本名ではなかった─大河ドラマの基礎知識─、2022年02月08日
- ^ 小谷野敦『名前とは何か なぜ羽柴筑前守は筑前と関係ないのか』青土社、2011年、141-142頁
- ^ 尾脇秀和『氏名の誕生 江戸時代の名前はなぜ消えたのか』筑摩書房、2021年、278頁
- ^ a b c d 高橋秀樹 2004, p. 2.
- ^ 高橋秀樹 2004, p. 2–3.
- ^ 大藤修 2012, p. 83.
- ^ 尾脇秀和『氏名の誕生 江戸時代の名前はなぜ消えたのか』筑摩書房、2021年、244、252、291-297頁
- ^ 田端泰子 2003, p. 197–199.
- ^ 田端泰子 2003, p. 196.
- ^ 五味文彦 2007, p. 28.
- ^ 山田孝雄 1932, p. 516.
- ^ 高橋秀樹 2004, p. 3.
- ^ 山路禰吉 1912, p. 497.
- ^ 本多浅治郎 1913, p. 267.
- ^ a b 高橋秀樹 2004, p. 4.
- ^ 雄山閣編集局編 1932, p. 3.
- ^ 渡邊幾治郎 1940, p. 124.
- ^ 洞富雄『庶民家族の歴史像』校倉書房、1966年、183頁
- ^ 高橋(1966)15-16頁
- ^ 井戸田博史『氏と名と族称 その法史学的研究』法律文化社、2003年、105頁
- ^ 武光誠『名字と日本人 先祖からのメッセージ』文芸春秋、1998年、86頁
- ^ 高橋秀樹 2004, p. 18.
北条政子と同じ種類の言葉
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