北条政子の法華堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:32 UTC 版)
同じ寿福寺に北条政子の墓との伝承を持つやぐらがあるが、その伝承も江戸時代に作られたものである。北条政子は1223年(貞応2年)に勝長寿院奥に弥勒菩薩を本尊とする伽藍・新御堂と御所を建て、1225年(嘉禄元年)7月11日に亡くなり、翌12日に御堂御所の地で火葬される。この新御堂が死に備える政子生前の持仏堂、死後の法華堂である。なお『吾妻鏡』には書かれていないが、同時代の藤原定家の日記には骨の一部が百ヶ日を目処に高野山にも送られたことが記されている。
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